成果の概要
東京都立大学大学院 理学研究科の伊與田正彦 客員教授(名誉教授)、北里大学大学院 理学研究科の長谷川真士 講師、横浜国立大学大学院 環境情報研究院の大谷裕之 教授、名古屋市立大学大学院 理学研究科の青柳忍 教授は、特定の蒸気を感知して可逆的に変形・変色するという、これまでにない特性を持つ新材料を作り出すことに成功しました。この新材料は、フェニル基(注1)を付加したチオフェン(注2)分子からなる環状6量体(図1a)が繊維状に超分子(注3)集合した繊維状物質(ファイバー)で、その環状の分子内および分子間にアセトン(注4)などの小分子を取り込むことができます。アセトン分子を取り込んだ黄色のファイバーは、乾燥させるとアセトン分子を放出し、橙色に変色する(図1b)とともに湾曲(図1c)します。乾燥した橙色のファイバーは、アセトン蒸気に触れさせるとアセトン分子を吸収し、その色と形を元に戻します(図1bc)。この特性は、特定の蒸気を感知するセンサーや、電源や熱源なしに蒸気のみによって駆動する新しい原理のアクチュエーター(注5)・人工筋肉などへの応用が期待されます。
論文掲載
本研究はアメリカ化学会誌(J. Am. Chem. Soc. )の速報(DOI: 10.1021/jacs.0c05340)に掲載されました(タイトル: Reversible Color and Shape Changes of Nanostructured Fibers of a Macrocyclic π-Extended Thiophene Hexamer Promoted by Adsorption and Desorption of Organic Vapor)。
アメリカ化学会誌は、アメリカ化学会により発行されている、化学分野で最も引用数の多い学術雑誌です (2019年インパクトファクター:14.612)。
ポイント
- フェニル基の付加した環状チオフェン6量体を新規に合成し、その分子から超分子ファイバーを作製しました。
- 作製したファイバーは、環状分子が積み重なった内部構造を有し、分子内および分子間の隙間にアセトンなどの分子の蒸気を取り込んで、その色と形、内部構造を可逆的に変化させることを明らかにしました。
- 電源や熱源を用いずに、蒸気のみによる省エネルギーな物質の可逆的な変形・運動を達成しました。
- この超分子ファイバーは、有機溶媒に溶かすことでその溶液から繰り返し作製できるため、持続性のある環境にやさしい素材です。
研究背景
近年、光や熱、外力や蒸気などの外部刺激を感知して自ら可逆的に変形・運動する材料が注目されています。このような材料はスマートマテリアルと呼ばれ、人工筋肉やアクチュエーター、センサー、生物模倣技術などの様々な用途への応用が期待されています。光や熱、外力に比べて蒸気は、電源や熱源を特別に必要としないため、省エネルギーな外部刺激として特に注目に値します。しかし、蒸気刺激に対して変形・運動する物質の報告例はこれまで極めて少なく、高分子材料においていくつか報告例があるものの、それらの変形・運動を可逆的に制御するまでには至っていませんでした。
研究内容
蒸気刺激に対して自ら可逆的に変形・運動するスマートマテリアルの開発を目指して、本研究ではフェニル(Ph)基を2個付加したチオフェン分子(図2a)6個からなる環状分子(図1a、図2b)を新規に合成しました。この環状分子は、特定の小さな分子をその環内に取り込むことができ、その際分子構造に少し変化が生じます。この環状分子は、ある条件下で積層するように超分子集合(図2c)することで、図1bに示す黄色のファイバーを形成します。
得られた黄色のファイバー(図1b)は、図2bの環状分子に加えて、アセトン分子を含んでおり、乾燥させるとアセトン分子を放出するとともに黄色から橙色に変色します(図1b)。この変色は分子構造の変化に起因します。乾燥後アセトン蒸気に触れさせると橙色から黄色に変色し、更に再度乾燥させると再び黄色から橙色に変色します。
このような蒸気刺激に対する可逆的な変色に加えて、このファイバーは蒸気刺激に対する可逆的な変形・運動も示します(図1cおよび動画1と2)。図1cおよび動画で示すように、長さ1 mm程度のファイバーがアセトン蒸気の有無によって可逆的に湾曲することで、その先端位置が0.1 mm程度、上下運動していることが分かります。この可逆的な変形・運動は、アセトン蒸気刺激と乾燥を繰り返すことにより、10回以上繰り返されます。蒸気刺激前後のファイバーの内部構造をSPring-8(注6)でのX線回折(注7)により調べた結果、蒸気刺激によって分子配列(図2c)が可逆的に変化することで図1cの変形が引き起こされていることが分かりました。
今後の展望と波及効果
本研究は、複数の安定な分子構造および結晶構造を持つ環状分子を用いることで、蒸気刺激に対して可逆的に繰り返し変形・変色する物質を開発できることを示しました。この成果は、蒸気刺激に対して駆動するスマートマテリアルの開発に道を拓くものです。今後、本研究で見出された物質開発指針を応用することで、特定の蒸気を感知するセンサーや、蒸気によって構造および吸光・蛍光特性が変化するソフトアクチュエーター(注8)、蒸気の流れを回転運動に変換する分子モーター、および蒸気で駆動する人工筋肉など、電源や熱源なしに蒸気のみによって駆動する新しい原理のアクチュエーターが実現できる可能性があります。
用語解説
【注1】フェニル基
化学式C6H5で表される。ベンゼンC6H6に似た炭素原子6個が6角形状に結合してできた原子団。
【注2】チオフェン
化学式C4H4Sで表される。炭素原子4個と硫黄原子1個が5角形状に結合してできた分子。
【注3】超分子
複数の分子が分子間相互作用により規則的に集合してできた分子の集積体。
【注4】アセトン
化学式C3H6Oで表される分子で有機溶剤として広く用いられる。両親媒性の液体で水にも油にも溶け、常温で高い揮発性を有する。
【注5】アクチュエーター
アクチュエータとも言う。電気や熱などのエネルギーを伸縮や回転などの機械的な変形・運動に変換する装置。
【注6】SPring-8
高輝度短波長なX線を利用できる兵庫県にある共同利用施設。
【注7】X線回折
物質に照射したX線の回折・散乱像を測定する実験で、物質内の分子構造や分子配列などが得られる。
【注8】ソフトアクチュエーター
ソフトアクチュエータとも言う。一般にアクチュエーターは動力源から駆動源に運動エネルギーを伝えるものであるが、ソフトアクチュエーターは材料そのものが変形して動力源と駆動源の役割を果たす。
動画へのアクセス
動画1:https://youtu.be/Lkh8-5mvZ-I動画2:https://youtu.be/gmt9VqOuzso