スマートフォンやインターネットなどの情報技術により、私たちの生活は飛躍的に便利になりました。その背景には、集積回路などの半導体工学技術やオプトエレクトロニクス(光電子工学)技術の発展があります。半導体素子を微細化することで高性能化が進んできましたが、従来技術では微細化が難しくなるなど、さらなる進展のための課題も見え始めています。
これを打ち破るため、次世代材料として注目されているのが、遷移金属ダイカルコゲナイド(TMDC)半導体材料です。1層の厚みが原子3個分ほどしかない極限的薄さのシート状物質で、光を吸収すると正の電荷(正孔)と負の電荷(電子)が結合した「励起子」と呼ばれる粒子が生成されます。その大きさは3ナノメートル(1ナノメートルは10億分の1メートル)程度しかありません。半導体素子の光応答を決定づけるのはこの励起子であり、その動きを制御することで新たな技術応用の世界が開けます。このため、励起子の動きを1ナノメートルの精度で捉えることが求められています。しかし、これまでの手法では数十ナノメートルの精度が限界でした。
本研究では、TMDC半導体の一種であるWS2(二硫化タングステン)やWSe2(2セレン化タングステン)の励起子の動き(ダイナミクス)を1 ナノメートルスケールの精度で可視化することに世界で初めて成功しました。複数の探針を用いて試料の電気特性を調べるマルチプローブ法、ナノメートルの空間分解能を持つ走査トンネル顕微鏡法(STM)、そして100フェムト秒(10兆分の1秒)の時間分解能を持つレーザー技術を組み合わせた成果です。
本手法の実現により、光電変換デバイスの効率改善や、ナノメートルスケールで励起子を駆動する省電力情報デバイスの開発に大きく貢献することが期待されます。
1.研究代表者
筑波⼤学 数理物質系物理⼯学域/イノベイティブ計測技術開発研究センター
重川 秀実 教授
茂木 裕幸 助教
東京都立大学理学部物理学科
宮田 耕充 准教授
2.研究の背景
私たちの日々の生活は、スマートフォンやインターネットなどの情報技術によって飛躍的に便利になりました。その背景には、集積回路などの半導体工学技術や、それらを光と組み合わせるオプトエレクトロニクス(光電子工学)技術の発展があります。半導体素子は微細化による集積化・高速化が進み、その大きさは10 ナノメートルの領域(1 ナノメートルは 10 億分の 1 メートル)にまで達しています。一方で、従来技術では微細化が難しくなるなど、Si(シリコン)半導体の課題も見え始め、さらなる発展のために新しい材料が模索されています。
この状況を打開する次世代材料として注目されているのが、遷移金属ダイカルコゲナイド(TMDC)注1)半導体です。1層の厚みが原子3個分ほどしかないシート状物質で、高い移動度注2)や高速な光応答などの特徴を有します。この材料が光を吸収すると、「励起子注3)」と呼ばれる正の電荷(正孔)と負の電荷(電子)が結合した3ナノメートル程度の大きさの粒子が生成されます。この励起子によって、半導体素子の光吸収や光電子応答が大きく影響を受けるため、励起子の状態を詳しく調べることが求められています。また、従来の半導体材料では、励起子は低温でしか安定に存在できませんでしたが、TMDC半導体の中では室温下でも安定に存在することが分かりました。低消費電力のレーザーや光トランジスタなどとして、応用上重要な役割を果たすと考えられ、TMDC中の励起子の動きを制御することで新たな情報デバイスを作製する試みも進められています。
以上のことから、励起子のダイナミクス(動きの時間変化)を1ナノメートルの精度で捉えることが強く求められていますが、これまで用いられてきた手法では数十ナノメートルの精度が限界でした。
3.研究内容と成果
本研究では、三つの技術を組み合わせた新しい顕微鏡「時間分解マルチプローブ走査型トンネル顕微鏡法(STM)」を開発しました。三つとは、①複数の探針を用いて試料の電気特性を調べるマルチプローブ法、②原子スケールの空間分解能(2点を見分ける能力)を持つ走査型トンネル顕微鏡法(STM)注4)、③100フェムト秒(10兆分の1秒)の時間分解能を持つレーザー技術、です。さらに、微弱な信号を計測できるようレーザー光学系を改良し、原子レベルの厚さしかない半導体中での励起子ダイナミクス(動き)を、1 ナノメートルスケールで可視化することに世界で初めて成功しました。
STMは、先端が原子レベルの細さしかない金属探針を試料に1ナノメートル程度まで近づけ、探針と試料の間に1V程度の電圧を印加して得られる「トンネル電流」を検知します。この時、探針下の試料中のごく狭い領域にのみ、印加した電界が染み込んでいます。励起子は正味の電荷を持たないために、そのままの状態ではトンネル電流として検出できません。しかし、試料に染み込んだこの電界の中に励起子が入ると、励起子中の正の電荷と負の電荷は逆方向に動いて分離され、電流として検出できるようになります。この技術を超短パルスレーザー技術と組み合わせてTMDC単原子層に適用すると、光パルスにより瞬間的に生成した励起子が、さまざまな過程で動きながら消滅していく様子を捉えられます。
本研究では、TMDC半導体の一種であるWS2(二硫化タングステン)やWSe2(二セレン化タングステン)に、時間分解マルチプローブSTMを適用し、これまでより高い空間分解能で励起子の動きを捉えることを試みました。図1(a)に測定の概略図を示します。
まずは、励起子が緩和する過程をピコ秒(ピコ秒は1兆分の1秒)スケールの時間領域で調べました。瞬間的に強い光パルスを照射した直後には、励起子が高密度に存在しています。この時、二つ以上の励起子が衝突して一方の励起子が消滅する「励起子―励起子消滅」という過程が生じます。この概略図を図1(b)に示します。WSe2に照射するレーザー強度を変えることで、生成する励起子の密度を変えながら緩和過程の測定を行った結果、密度が高い時には速く減衰し、低い時には緩やかに減衰することが分かりました。これは、密度が高いほど励起子の衝突頻度が大きいことを反映しており、図1(c)でも光照射後1ピコ秒辺りで減衰の速さが変化していく様子が見られます。STMを使って励起子のダイナミクスを初めて捉えることに成功しました。
次に、WS2薄膜中に形成された数十ナノメートル周期のシワ構造を対象に、シワの場所に応じて励起子のダイナミクスがどう変化するかを調べました。構造の模式図を図2(a)に示します。その結果、シワ構造の山(頂上部)と谷(底部)とでは、頂上部の方が励起子の寿命が長いことを明らかにしました(図2b,c)。この差は、WS2膜の下にある基板からの影響が励起子の寿命に強く影響することを示しています。高い空間分解能で励起子のダイナミクスを検出することに世界で初めて成功した成果です。この他、異なる結晶方位で成長した二つの島状構造がぶつかって生じた界面では励起子が消滅しやすく、その周辺数ナノメートルの範囲にわたって励起子の寿命の長さが変化していることも初めて明らかになりました。
4.今後の展開
本研究により、原子層厚の半導体中で生じる励起子のダイナミクスを1ナノメートルのスケールで検出し、評価することが可能になりました。これにより、局所的な形状変化や欠陥など、さまざまなナノ構造の影響を受けた励起子の動きも詳細に議論することができます。また、励起子は電気的に中性であるため、少ない損失でエネルギーや情報を運ぶ媒体として注目されています。加えて、スピンの情報も付加できること、さらには高効率のレーザー源としての応用や100Kを超える高い温度での超流動(伝導抵抗ゼロ)状態が提唱されるなど、TMDC中の励起子については、さまざまな応用につながる多くの発見がなされている状況です。本研究で開発した技術を用いてこれらの現象の局所ダイナミクスを実空間で可視化し、あらわにしていくことで、ナノスケールで励起子が織りなす新たな世界が大きく展開していくことが期待されます。
参考図
図1 (a)本研究に用いた実験手法の模式図。光パルスにより生成した励起子をSTM探針直下にある電界で分離し、トンネル電流として検出する。これは世界初の試みである。TMDC試料中の青色の粒が遷移金属原子、黄色の粒がカルコゲン原子に対応している。(b) 励起子―励起子消滅過程の模式図。拡散する励起子同士の衝突により、一方の励起子が消滅する。励起子の密度が高い時には、この消滅の過程が励起子緩和の支配的なメカニズムになる。(c)三つの異なる光強度で励起された場合のSTM電流をピコ秒スケールで測定した時間分解信号。光強度が高いほど、即ち生成される励起子の密度が高いほど速く減衰する様子が見て取れる。これは、密度が高いと励起子同士が衝突して消滅する確率が高いためである。
図2 ナノスケールのシワ構造での励起子ダイナミクス (a)シワ構造の模式図。電気を流さないSiO2(二酸化ケイ素)の上にシワ構造を持つ原子層厚のWS2が配置されている。(b)上段がSTMで測定したシワの形状画像。明るい場所が高く、暗い場所が低いことを示しており、図(a)の模式図の構造に対応している。下段はシワにそった横方向xの位置において生成された励起子のダイナミクスを時間分解マルチプローブSTM測定した結果である。縦軸が時間、横軸が位置で、励起子密度の減衰の様子を二次元的に示している。図右のカラースケールにあるように、赤色は励起子密度が高く、時間と共に緑から青色へと変化し、密度が減少していく様子が分かる。図中に青色、赤色の矢印と破線で示すように、シワの山部分では、谷の部分に比べて励起子密度が高い状態が続いていることが見て取れる。その様子を抜き出して示したのが図(c)である。シワの頂上部と底の部分での結果を抜き出して解析した結果。頂上部では底部と比べて5倍程度も寿命が長いことが示されている。
用語解説
注1) 遷移金属ダイカルコゲナイド(TMDC)
1層の厚みが原子3個分ほど(0.6~1ナノメートル程度)のシート状物質。モリブデンやタングステンなどの遷移金属原子と、硫黄やセレンなどのカルコゲン原子から構成される。シート断面から見ると遷移金属原子がカルコゲン原子に挟まれた構造を持ち、遷移金属原子とカルコゲン原子が1対2の割合で含まれている。大気中で安定であることや、高い移動度や高速の光応答性を持つなどデバイス材料として理想的な特性が次々に発見され、極限的な薄さを持つデバイスを開発する研究が世界中で進んでいる。
注2) 移動度
材料に電場を印加した時の電子や正の電荷(正孔=ホール)の動きやすさ。
注3) 励起子
光などによって励起された正の電荷(正孔)と負の電荷(電子)が、クーロン引力で結合した粒子。励起子はある寿命を持ち、再結合などにより光やフォノン(結晶内部の振動)を放出しながら一定時間で消失する。従来の厚い半導体材料では室温下のエネルギーで励起子が分解してしまうため、低温環境でのみ励起子状態が議論されてきた。一方、原子レベルの厚さしかないTMDC半導体中での励起子は、室温でも安定であり、二つの材料を重ね合わせることなどでさらに長寿命化できることが最近、明らかになった。低消費電力のレーザーや光トランジスタなど応用上重要な役割を果たすと考えられ、盛んに研究されている。
注4) ⾛査型トンネル顕微鏡法(STM)
量⼦⼒学で説明されるトンネル効果を利⽤した、原⼦レベルの空間分解能を持つ顕微鏡。通常、金属同士でも間隙があると電流は流れず、それがスイッチになる。しかし、両者を1ナノメートル(1nm=10億分の1m)ほどに近づけると、あたかも電子を通すトンネルがあるように電流が流れる。これをトンネル効果、流れる電流をトンネル電流と呼ぶ。STMでは、先端が原子1個ほどしかない非常に鋭い探針を試料に近づけ、1V程の電圧を印加することで、1ナノアンペア(1nA=10億分の1アンペア)ほどのトンネル電流を測定する。トンネル電流は探針と試料の距離に敏感であるため、探針を試料に沿ってトンネル電流が一定になるように走査し、探針の動きを精密に記録すると、試料の凹凸を0.01nmの精度で観察することができる。測定されるのはトンネル電流であるため、試料の局所的な電子状態を反映する。発明者は1986 年のノーベル物理学賞を受賞した。電⼦状態を調べることに加え、原⼦を操作 (マニピュレーション)することもできる。
研究資金
本研究は、日本学術振興会 科学研究費(17H06088, 20H00341, JPMJCR1875, JPMJCR16F3)、科学技術振興機構 CREST(JPMJCR1875, JPMJCR16F3)を中⼼とした研究プロジェクトの⼀環として実施されました。
掲載論文
【題名】
Ultrafast nanoscale exciton dynamics via laser-combined scanning tunnelling microscopy in atomically thin materials.
(超短パルスレーザーと走査トンネル顕微鏡を組み合わせ原子レベルの薄さを持つ物質中での超高速励起子ダイナミクスをナノスケールで可視化)
【著者名】
茂木 裕幸1, 嵐田 雄介1, 菊地 隆生1, 水野 良祐1, 若林 潤1, 和田 尚樹2, 宮田 耕充2, 谷中 淳1, 吉田 昭二1, 武内 修1, 重川 秀実1
【所属】
1) 筑波⼤学 数理物質系物理⼯学域/イノベイティブ計測技術開発研究センター
2) 東京都立大学理学部物理学科
【掲載誌】
npj 2D Materials and Applications
【掲載日】
2022年10月14日
【DOI】
https://doi.org/10.1038/s41699-022-00345-1
5.問合せ先
【研究に関すること】
重川 秀実(しげかわ ひでみ)
筑波⼤学 数理物質系物理工学域/イノベイティブ計測技術開発研究センター 教授
TEL: 029-853-5276
Email: hidemi@ims.tsukuba.ac.jp
URL: https://dora.bk.tsukuba.ac.jp
【取材・報道に関すること】
筑波大学広報局
TEL: 029-853-2040
E-mail: kohositu@un.tsukuba.ac.jp
東京都公立大学法人
東京都立大学管理部 企画広報課 広報係
TEL:042-677-1806
E-mail: info@jmj.tmu.ac.jp
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