東京都立大学の人文社会学部人文学科 表象文化論教室では、古典的な芸術からポップカルチャーまでを対象に、特定のコンテンツに限定することなく、学生それぞれの関心を起点に表現や文化を深く学べる環境があります。
自分の興味・関心を入り口にした学びには、どんな魅力があるのでしょうか? 聴覚文化論・音楽文化論を専門に教鞭をとる福田先生と、先生のもとで卒業研究に取り組む4年生3名に話を伺いました。
多様な文化や芸術を学術的に深く考察する
——まずは、「表象文化論」とはどんな学問なのか教えてください。
簡単に説明すると、サブカルチャーやポピュラーカルチャーも含めた広い意味での芸術表現や文化現象を扱う学問です。同時に、私たちが何かを「見る」「聞く」という感性的な経験そのものが、どのように成り立っているのかを考える学問でもあります。
映画、音楽、ゲーム、ファッション、広告など、私たちの周りには様々な文化的表現が溢れています。それらはどのような歴史的・社会的な条件のもとで生まれ、私たちの感性にどう働きかけているのか。それを探求するのが、「表象文化論」です。
この分野は比較的新しく、確立された輪郭があるわけではありません。だからこそ、様々な角度から自由にアプローチできます。音楽が好きな人は音楽から、映画が好きな人は映画から、ゲームが好きな人はゲームから。自分の興味関心を入り口にして、文化や社会、そして人間の感性について深く考えることができるのです。
だからといって、自分の感じたことを「好きに」考えるのでは学問的な探究にはなりません。「自由にアプローチ」するためには、堅い言葉ですが「方法論」が大切です。好きな対象を分析的に考えるための道具のようなものですね。表象文化論教室では多くの「基礎理論」科目を設け、表象文化論にかかわる方法論——映画理論、記号論、物語論、メディア論、ジェンダー論、精神分析、現代思想など——を学んでもらっています。
これらを組み合わせながら、「自分なりの表象文化論」を作っていってもらえたら、と思っています。
——先生は、表象文化論の中でも「聴覚文化論」「音楽文化論」が専門だと伺っています。それぞれどういった学問なのでしょうか?
聴覚文化論とは、いわゆる「音楽」に限らず、聴覚という感覚にかかわるモノや出来事の全てを考察の対象とするあたらしい学問分野です。場合によっては、人間には聞こえない超音波や低周波、あるいは障碍のために「聞こえない」という状況についても扱います。広い意味での聴覚に関わる文化的な営みや社会制度、そして科学や技術を対象とする学問だと言えるでしょう。
その成り立ちは20世紀終盤に遡ります。1980年代後半、アメリカを中心に「美術」などの枠組みに捉われない「視覚文化 visual culture」という考え方が出てきました。その影響を受けて、1990年代後半から英語圏で「聴覚文化 auditory culture」という考え方があらわれ始め、日本でも独自の形で発達して現在に至ります。
音楽文化論という考え方はそれ以前から存在していますが、見方によっては「聴覚文化論の中でも「音楽」に特化したもの」と言えるかもしれません。「音楽の研究」と聞くと、作曲法や楽譜に基づく楽曲分析を想像する方が多いかもしれません。
もちろんそうした研究も大切なものですが、音楽文化論では、歴史的・社会的・産業的な観点からのアプローチを大切にし、音楽文化を人間の様々な活動におけるネットワークのなかで起こる「出来事」として捉えるところに特徴があると言ってよいでしょう。
——先生が、音や聴覚の研究に興味を持ったきっかけを教えてください。
子供のころから音楽を聴いたり演奏したりすることが好きでしたね。私は1972年生まれで、音楽に「かぶれる」中学生くらいの年ごろにはミュージック・ビデオの流行と連動した洋楽ブームもあり、ロックからはじまりジャズにクラシックに民族音楽にと、いろいろなジャンルに手を出していました。
音楽を聴き続けるうちに、音楽を聴くための装置、今の自分の研究に即して言えば「聴覚メディア」にも興味を持つようになりました。聴いているのは同じ音楽のはずなのに、スピーカーで聴いたりヘッドフォンで聴いたり、あるいはレコードで聴いたりCDで聴いたり、装置を変えると聴こえ方が全然違います。そして、自分の感動の仕方も変わってくる。「それはどうしてなんだろう?」という子供時代に抱いた素朴な疑問が、今の研究にまで繋がっているように思います。
特定のゼミに所属せず、幅広い視野を養う
——では、先生が教鞭を取る表象文化論教室の特徴について教えてください。
表象文化論教室の大きな特徴は、先にも述べたとおり「理論」の修得を重視すること、そして特定のゼミに所属しないことです。
ゼミがない代わりに、少人数の演習科目がたくさん開講されています。学生は、自分の興味関心に合わせて好きな演習を選ぶことができます。
表象文化論教室には、映画、音楽、マンガ、舞台芸術、現代思想、映像文化、文学、ジェンダー論など、様々な分野を専門とする先生がいます。さらに、非常勤講師の先生方をお招きして、ファッション論、ゲーム研究、芸術人類学など、表象文化論にかかわるあたらしい動向の授業も多く開講しています。
一つのテーマに限定されず、幅広く学べるのがこの教室の特徴です。映画について学んだことが映像と音響との関わりの問題へとつながったり、ファッション論で学んだことがジェンダー論へとつながったり、様々な知識がさながらネットワークのように絡み合って、それまで気づかなかった面白い問題に行き当たる。そういう発見があるのも面白さの一つですね。
——実際に学生はどのような研究を行っているのでしょうか?
表象文化論教室には、様々な切り口から芸術作品や文化現象を研究している学生がいます。
私が卒業論文や修士論文を指導している学生に限ってみても、クラシックやポピュラー・ミュージックといった音楽はもちろん、「ボーカロイド」の研究をしている学生もいます。
では、ボーカロイドを表象文化論という観点から見ると、どのような研究ができるでしょうか。例えば、ボーカロイドを成立させているのは、巧みな音声技術です。人の声を機械で再現しようという試みは、遡ると18世紀から存在していました。だからといって、ボーカロイドを18世紀の技術からの「繋がり」によって理解するのは一面的に過ぎるでしょう。
だとすれば、そこにはどのような類似点と相違点があるのか。すこし専門的に言うと、そこにはどのような歴史の「連続」と「断絶」があるのか。このように、まずは技術をめぐる歴史といった観点から研究することが可能でしょう。
他方で、日本のボーカロイド文化は、「匿名ながら作品を発表できる場」を舞台にして大きく発展してきました。こうした背景が、米津玄師さんのようなスターの誕生にもつながっていきます。かつてはテレビや芸能事務所を介して有名になっていくのが一般的でしたが、ボーカロイドの普及により、匿名で活動していた人がネット上で人気を集め、スターダムへと駆け上がっていく新しい流れが誕生したと言うこともできるでしょう。
ほかにも、初音ミクに代表されるキャラクター文化との関係なども含め、メディア論的かつ社会的な、そして時に産業論的な観点からのアプローチも可能です。
また、ゲームや映画など、音にまつわること以外を研究対象としている指導学生もいます。私の専門は「音や聴覚にかかわる文化」ですが、現在の文化的な状況においては、ボーカロイドにせよミュージック・ビデオにせよライヴ文化にせよ、「聴く」と「見る」を完全に切り離すことは難しいと思っています。「聴く」ことを深く扱うためには、「見る」ことについても理解する必要がある。だから私の演習でも、視覚にまつわるテーマを扱うことがあります。感覚は互いにつながっているからこそ、音以外の分野を研究する学生がいることは、むしろ自然なことだと思っています。
「表象文化」の切り口を使えば、あらゆる点が線で繋がっていく
——では、表象文化論教室で学ぶ4年生の皆さんにお話を伺います。みなさんいずれも、福田先生の指導のもとで卒業研究に取り組まれているそうですね。まずは、人文学科を選んだ理由、その中でも表象文化論教室を選んだ理由を教えてください。
幼少期からゲームが好きで、高校生になって進路を考えたときに、「学術的な観点からゲームについて学びたい」と思ったことがきっかけです。いろいろな大学の学部、学科を調べた結果、都立大の人文学科 表象文化論教室なら、自分のしたい研究ができそうだと思い、進学を決めました。
私も、「表象文化論を学びたい」と思って都立大に入学しました。幼少期からピアノを習っていて、音楽はずっと身近なものでした。長年、演奏という観点で音楽に触れてきたので、大学では違う視点から学んでみたいと考えました。
私は映画が大好きで、高校生のときは映画研究部に所属していました。そこから、「大好きな映画をもっと楽しめるように、いろんな切り口から映画を捉えたい」と思うようになり、それが可能な「表象文化」が学べる都立大に入学しました。
——福田先生から、表象文化論教室には様々な演習があると聞きました。実際に演習を受けてみて、感じているメリットがあれば教えてください。
演習は少人数なのがいいですよね。講義中に先生と直接話しながら、自分の考えを聞いてもらえる。また、他の学生と気軽に意見交換ができるのも良いですよね。
表象文化論教室の演習は、3人から多くても10人程度ですからね。
演習科目を自分で選択できるのも魅力です。私たち3人は、入学前からやりたいことが固まっていました。だからこそ、初めから専門的な学問に取り組むのではなく、いろんなジャンルの演習を受けられたことで、視野が広がったなと感じています。
——特に、どんな授業で視野が広がったと感じましたか?
僕は、表象文化論とジェンダーの授業です。文学や映画といった芸術作品を、ジェンダー理論で批評していく、という内容です。正直最初はあまり興味がなかったのですが、講義や演習を受けていく中で、とても興味深いなと感じました。
私もジェンダー論です。最初は「表象文化論とジェンダーって、どんな関係があるんだろう?」と思っていました。でも、授業で様々な映画を見て、そこからジェンダー表象を見ていったことで、私たちが普段見ている映画作品もいろんな見方ができるんだなと、より身近な芸術作品に興味を持てるようになりました。
私はジェンダー論に加えて、ファッションやゲーム音楽の授業も印象に残っています。例えば、ゲーム音楽の授業では、半年間ずっとゲームの中の「音楽」だけが扱われました。一つのテーマをここまで深く学べるのは、この教室ならではだと思います。しかも、そこで学んだ視点が、一見すると関係ないような自分の研究にも今活きているんです。
点と点で学んでいたと思ったら、あるときどんどん線で繋がっていくのが、表象文化論を学ぶ面白さのひとつかもしれません。
——皆さんは現在4年生ですが、卒業研究ではどんなテーマに取り組んでいるのでしょうか。
僕は「ゲーム実況」をテーマに卒論を書いています。福田先生の専門外のテーマなのですが、どういう文献を参考にすればいいか悩んでいたときに、ゲーム研究を専門とする先生を紹介していただきました。このように、自分の興味に合わせて様々な先生からアドバイスをもらえるのは、この教室のいいところだと思います。
私は「フィギュアスケートで使われる音楽」を研究しています。フィギュアスケートはまだ学術的な研究が少ない分野ですが、福田先生も一緒に文献を探してくださったり、使えそうな資料を共有してくださったりしてくれます。行き詰まったときには「大丈夫、できるよ」と励ましてくださるのも、心強いですね。
私は「現代ハリウッド映画の音響」をテーマにしています。私の研究も福田先生の専門とは少し離れているのですが、映画音響を専門とする先生を紹介していただいて、その先生から参考になりそうな資料を共有していただいたり、大学院向けの演習にも参加させてもらったりしています。福田先生が橋渡しをしてくださったおかげで、より専門的な指導を受けられているんです。
——表象文化論教室で学んだことは、自分にとってどのような意味があると思いますか?
表象文化論教室では、一つのものをいろんな視点から捉える試みを常にしています。また、2年生以降は現代思想や哲学を学ぶ機会もあります。様々な観点から考えることができ、思考力が鍛えられたように思います。
私は「学びの内容が自分を紹介する手段になった」と実感していることがあって。就職活動の面接で、「大学では表象文化論を専攻していました」と答えると、興味を持ってくださる方がものすごく多かったんです。そこから会話が盛り上がって、「どんなことを研究しているの?」「なぜその分野を選んだの?」と聞いていただけました。
好きで学んできたことを話すことで、自分の人間性がしっかりと伝わるのは、表象文化論を専攻しているからこそのメリットだな、と感じています。
表象文化論が将来どのように役に立つかはまだわかりませんが、だからこそ「大学で学ぶ価値がある」と思っているんです。
一般的に「研究」というと、社会の発展に役立つような発見をする必要がある、と考える人も多いと思います。もちろん、表象文化論教室でもそれを主な目的として研究できますが、「何に役立つかは分からないけど、好きだから突き詰めたい」という純粋な学修意欲も大事にできる。それを叶えてくれる場所が、都立大の表象文化論教室だと私は思っています。
好きなことを入り口にして、世界の見え方が変わる経験をしてほしい
——最後に福田先生に伺います。表象文化論教室での学びを通して、学生たちにどんな力を身に付けてほしいと考えていますか?
2つあります。まずは「言語化能力」です。表象文化論教室ではさまざまな分野の演習が開講されているので、学部生のうちから発表したり、フィードバックをもらったりする機会がとても多い。自分の考えを、他者に伝わる言葉に変換して語り、フィードバックを受ける。そこからどうしたら伝わるか、納得してもらえるかをブラッシュアップして、また発表する。それを繰り返しているうちに、自然と「言語化能力」は育っていきます。
みずからの考えを伝わりやすい言葉にする能力は、どのような将来を生きていくにせよ、きっと自分を助けてくれるはずですし、ひいてはこれからの社会をより良いものにすることへと通じているはずです。ちいさな専門性に閉じない表象文化論教室でこそ養われるこの能力を、学生たちにはぜひ大切にしてもらいたいですね。
もう一つ身につけてほしいのは、「自分が当たり前だと思っている世界は、他の人にとっては当たり前じゃないかもしれない」と捉えられるようになることです。なぜ今こう見えているのか。それは別の形でもありえたのではないか。そう考えられるようになると、世界の見え方そのものが変わってきます。
これは、就職活動や仕事にすぐに役立つスキルではないように思うかもしれません。ですが、目の前の採用試験官、あるいは上司や同僚といったひとたちが、自分の「当たり前」を共有していない可能性を想定しうること、これもまた「自分を助けてくれる」大事な能力ではないでしょうか。
もちろん、そうした「身過ぎ世過ぎ」よりもずっと大事なのは、この世界の途方もない「豊かさ」に出会う、ということに他なりません。好きなこと・興味のあることを入り口にして、世界の見え方が変わる経験をし、世界の豊かさと遭遇する。この教室で学ぶことを選んだ学生には、ぜひそのような経験をしてほしいと思いますし、その「遭遇」は一生ものの財産になるはずです。







