大阪公立大学と東京都立大学が互いの誇りをかけて競い合う「阪公戦」。
スポーツを通して刺激し合い、絆を深める学生たちが熱い戦いを繰り広げます。
勝負のその先にある、成長と友情のドラマを感じてみませんか?
阪公戦(旧府大戰)に
ついて
大阪公立大学・東京都立大学総合競技大会(通称「阪公戦」、旧「府大戰」)
阪公戦は、1953年に両大学の体育会系教員間の話し合いから、「総合定期体育大会」として始まりました。今年(2025年)で第73回を迎える歴史ある大会です。
規模や設立形態が共通した大学同士による、半世紀以上にわたる継続的な総合対抗戦は、全国でも珍しい存在です。大会会場は、大阪と東京で毎年交互に設けられます。両大学にとって年間最大級のスポーツイベントであり、約20の競技団体が参加し、学生や教員、マネージャーが一丸となって総合優勝を目指す熱戦と交流の場となっています。
開催時期
毎年7月に開催
参加団体
アイスホッケー、剣道、ゴルフ、サッカー、柔道、ソフトテニス、卓球、バスケットボール、バレーボール、バドミントン、ハンドボール、ラグビー、硬式野球、空手道、合氣道、少林寺拳法、弓道、水泳、ヨット、自動車など
通算成績(※第73回終了時点)
大阪公立大学 38勝 28敗 3引き分け 4中止
東京都立大学 28勝 38敗 3引き分け 4中止
最新の成績や参加団体については以下をご確認ください 【課外活動・施設利用】 阪公戦 :: 東京都立大学 学生課
阪公戦の歴史
70年を超える総合競技大会の歩み
「阪公戦」は、70年以上にわたりその歴史を誇る、伝統的な大学間総合競技大会です。それぞれの前身である旧大阪府立浪速大学と旧東京都立大学の時代に、両校の学生交流の促進と競技力の向上を目的として始まりました。
長きにわたり、都立大では「府大戰」、大阪公立大学では「都立大戦」の愛称で親しまれてきました。両大学の統合・改名を経て、現在は「大阪公立大学・東京都立大学総合競技大会(通称:阪公戦)」としてその伝統を途切れることなく継承しています。
記念すべき第1回大会は、準備期間が短い中、1953年に都立大のキャンパスで開催されました。当初は都立大の施設で対応可能な硬式庭球、サッカー、柔道、軟式庭球、バスケットボール、バレーボールの7種目に絞って競技が行われました。結果は、浪速大が6勝1敗で圧勝し、都立大が唯一勝利を収めたのはバレーボールでした。
この総合競技大会は、今も両校の学生や教員が一丸となり、熱戦と相互交流を重ねる場としてその歴史と伝統を受け継ぎ続けています。
当時の様子
両校の誇りをかけた一大イベントとその規模
本大会は、単なるスポーツ大会という枠を超え、両校の誇りをかけた一大イベントとして位置付けられています。
アイスホッケー、剣道、サッカー、柔道、硬式野球など、約20に及ぶ競技団体が参加し、総合優勝を目指して互いにしのぎを削ります。この多岐にわたる競技を一堂に会して行う規模の大きさは、本大会の大きな特徴の一つです。通算成績は、現時点では大阪公立大学にリードを許しているものの(大阪公立大学38勝 vs 東京都立大学28勝 ※第73回終了時点)、どの年の大会も一瞬たりとも目が離せない熱戦が繰り広げられており、学生たちにとってかけがえのない記憶となっています。
1953-1964年
第1回〜第12回 ジンクスの時代
戦後発足の都立大と浪速大が始めた対抗戦は、「遠征校は勝てない」というジンクスが定着しました。これは、夜行列車での移動や遠征費の工面といった当時の遠征における大きな負担と疲労が影響したためです。学生たちはこのジンクスを打破すべく、様々な困難に挑戦し、現在の定期戦の基礎を築き上げる成長の時代でもありました。また、大会の象徴として第8回大会からは新たに知事杯・総長学長杯が制定され、優勝杯争奪戦が始まりました。
1965-1974年
第13回〜第22回 苦難の時代
「遠征校が勝てない」ジンクスが崩壊した後、都立大は大阪府立大学との充実した施設差なども影響し、この期間で11年間勝利から遠ざかるという苦境に立たされました。さらに、大学紛争による中止(第17回)も経験するなど、定期戦存続が危ぶまれる中で奮闘した時代です。そのような中、第13回大会では剣道と体操が加わり、参加団体が23種目に拡大したため、東京オリンピックのメイン会場であった駒沢公園を初めて使用することになりました。
1975-1985年
第23回〜第33回 正念場の時代
都立大が8連敗という苦境から脱却すべく、勝利への道筋を真剣に模索した時代です。横浜市立大学との「横市戦」開催など、実戦強化に積極的に取り組み、その努力の結果、ついに大阪の地での初勝利を達成しました。さらに、初の3連覇を成し遂げることで、後の黄金期の礎が築かれました。特に第30回記念大会は象徴的であり、真紅の優勝旗が新調されただけでなく、府大戰開始以来30年目にして、ついに都立大が大阪での初勝利をつかみ取るという歴史的な節目となりました。
1986-1991年
第34回~第39回 さよなら八雲の時代
1986年の第34回大会から1991年の第39回大会までの6年間は、都立大が八王子市南大沢キャンパスへ移転するまでの、八雲校舎での最後の時代にあたります。この間、都立大は府大戰において空前絶後の6連敗を喫し、八雲校舎の時代に優勝旗・優勝杯を飾ることができませんでした。連敗の背景には、当時の体育施設の差による練習環境の制約がありました。しかし、それ以上に「東京大会では勝てる」という油断や、府大側の都立戦への強い意気込みが影響したといわれています。
1992-2004年
第40回〜第52回 南大沢黄金時代
都立大が南大沢キャンパスへ移転し、さらに常設應援團の再興が追い風となる中で、大学全体が躍進を遂げた時代です。第40回記念大会で7年ぶりの勝利を飾ると、その勢いのまま初の4連覇を達成し、都立大にとっての「黄金時代」を築き上げました。しかし、府大の猛攻や大会運営における資金難など、新たな課題にも直面し、両校の熱意が試される時代でもありました。
2005-2019年
第53回〜第67回 首都大での熱戦の時代
旧東京都立大学を含めた4大学の統合に伴い、「首都大学東京」が開学したことで、学生数が増加し、大会の規模も拡大しました。熱戦が展開される中で、首都大の好成績を収める時期が続き、この間の戦績は、3連覇を含む8勝5敗1分1中止(※2018年度は天候による中止)でした。
2020年-
第68回〜 新生都立大の挑戦の時代
首都大学東京から「東京都立大学」に名称変更して迎えた時代ですが、2020年と2021年は新型コロナウイルス感染症感染拡大のため開催中止となりました。コロナ禍が明けた2022年に2年ぶりに大会が開催され、同年開校した大阪公立大学との対抗戦として、大会名も「阪公戦」へと改称されました。相手校の大学統合により、学生数や競技人口が増え、連敗が続いていますが、接戦が繰り広げられています。雪辱を目指し、都立大の学生たちが研鑽を積む、新たな挑戦の時代となっています。
開催地の移動が物語る親睦と交流の深さ
阪公戦の大会会場は、両大学の親睦と伝統を大切にし、大阪と東京で毎年交互に開催されています。
遠隔地への長距離移動を伴うこの形式は、大会の歴史と規模の大きさを示すものであり、競技を通じて両校の学生同士が交流と絆を深める重要な機会です。遠征の地で生まれる一体感や感動は、学生にとって大切な思い出となっています。
選手たちはこの大会での勝利を目指して日々努力を積み重ね、毎年熱戦を繰り広げています。都立大では、選手のみならず、学生全体が一丸となって応援し、互いの健闘をたたえ合う、一大イベントとして位置付けられているのです。
フォトギャラリー
課外活動について
大会支援のお願い
学生がより多くの競技で互いに切磋琢磨し、友情や信頼といった人生の糧となる貴重な経験を積めるよう、その環境を整備し、学生の成長と両校の伝統を支えるため、皆さまからの温かいご支援を心よりお願い申し上げます。
寄附金の主な使途
皆様から頂いたご支援は以下の取り組みに活用させていただきます。
- ホーム戦の開催経費
- アウェイ戦の遠征費
出典・参考文献
「東京都立大学五十年史」 / 「東京都立大学三十年史」 / 「雲路 ~府大戰半世紀の軌跡~」 / 都立大新聞











