概要
理化学研究所(理研)脳神経科学研究センターマーモセット神経疾患モデル研究チームの岡野栄之チームディレクター、東京都立大学大学院人間健康科学研究科放射線科学域の畑純一准教授、牟田佳那子特任助教らの国際共同研究グループは、ヒトから線虫まで6種に共通する麻酔時の神経動態を明らかにしました。
本成果は、麻酔によって外界への反応性が低下するときの脳状態を、種を超えた共通原理として理解する手掛かりになると期待されます。
6,827種類の時系列特徴[1]を用いて覚醒時と麻酔時を比較したところ、少し前の神経活動の影響がどの程度長く残るかを表す内在的神経時間スケール[2]が麻酔下では短くなり、脳領域間の同期性も低下しました。これらの変化は、種や麻酔薬、計測方法が異なっても共通して認められました。国際共同研究グループは、神経活動の時間的な持続性と脳領域間の連携がともに低下するこの状態を「神経活動の時空間的孤立[3]」と位置付けました。
本研究は、科学雑誌『Nature Neuroscience』オンライン版(9月29日付)に掲載されました。
背景
全身麻酔は手術などに不可欠です。麻酔薬によってその作用機序は異なりますが、いずれも外界への反応性を低下させます。例えば、プロポフォールやセボフルランなどは神経活動を抑制する一方、ケタミンは興奮性神経伝達に関わるNMDA受容体を阻害して麻酔や鎮痛作用を示します。ヒトでは呼びかけへの応答が失われ、動物でも自発運動や外部刺激への反応が低下します。こうした反応性低下は魚類や線虫など進化的に離れた生物にも見られますが、異なる麻酔薬がなぜ種を超えて共通した脳状態をもたらすのか、その全体像は十分に分かっていません。
研究手法と成果
国際共同研究グループは、神経活動の時系列が持つ数千種類の特徴を一度に調べる「動的表現型解析」を用いて、異なる種・麻酔薬・計測方法を横断して比較しました。
解析対象はヒト、サルのマカクとマーモセット、マウス、ゼブラフィッシュ、線虫の6種です。哺乳類4種(ヒト、マカク、マーモセット、マウス)では機能性磁気共鳴画像法(fMRI)[4]、ゼブラフィッシュと線虫ではカルシウムイメージング[5]を用いました。セボフルラン、プロポフォール、ケタミン、イソフルランなど、作用機序の異なる複数の麻酔薬によるデータを解析しました。各時系列からhctsa[6]という解析法で6,827種類の特徴を抽出したところ、485種類の特徴の比較の全てが同じ方向に変化しました。
特に、少し前の神経活動の影響がどの程度長く残るかを表す「内在的神経時間スケール」は、6種全てで麻酔下にて短縮しました。つまり、麻酔下では、少し前の神経活動の影響がより早く失われ、神経活動の持続性が低下していました。(図1)。

図1 麻酔で短縮する内在的神経時間スケール
6種全てで麻酔時に内在的神経時間スケールが短縮した。
脳全体のさまざまな領域の活動を比較したところ、麻酔下では、覚醒時に見られる脳領域同士の「同期性[7]」、すなわち異なる領域の活動が同じタイミングで変動する性質が低下していました。さらに、覚醒時には脳領域間で共通して見られる、神経活動の持続性や周期性といった時間的な変化の特徴も、麻酔下では領域ごとにばらつきが大きくなりました。つまり麻酔下では、それぞれの脳領域の活動が時間的に持続しにくくなるだけでなく、脳領域同士の活動パターンもそろいにくくなることが示されました(図2)。

図2 麻酔で低下する脳領域間の同期と動態の連携
領域間同期、動的特徴の類似性、同期と局所動態の結び付きはいずれも多くの麻酔条件で低下した。
マカクでは、プロポフォール麻酔中に視床中心正中核への脳深部刺激(DBS)[8]を行うと、外界からの刺激に対する行動反応性[9]が回復することが知られています。このとき、麻酔によって短くなっていた内在的神経時間スケールが再び長くなるとともに、脳領域間の相互作用も麻酔による変化とは逆方向に変化しました。一方、視床中心正中核とは異なる、刺激しても行動反応性が回復しない対照部位では、このような神経活動の変化は見られませんでした。これらの結果から、今回捉えた神経動態は、脳が外界からの刺激に反応できる状態にあるかどうかと関係していることが示されました。
哺乳類4種において、麻酔による神経動態の変化と遺伝子発現分布[10]の関係を調べると、興奮性・抑制性神経伝達や神経活動リズムに関わる遺伝子との関連が認められました。GABAA受容体、NMDA受容体、AMPA受容体、HCN1[11]などが含まれていました。哺乳類4種のうちマーモセットではBrain/MINDS[10]の遺伝子発現データベースであるMarmoset Gene Atlas[10]を利用しました。
麻酔薬のシナプス[12]レベルの作用から全脳レベルの変化を再現できるかを、生物物理学的全脳モデル[13]で検討しました。GABA作動性麻酔薬[14]を模したモデルでは、実データで共通して変化した485種類の特徴のうち461種類(95%以上)が同じ方向に変化し、麻酔薬ケタミンを模した別モデルでも90%以上が再現されました(図3)。

図3 異なる分子作用から共通する全脳動態へのつながり
GABA作動性麻酔薬のシナプス作用を組み込んだ全脳モデルは、485特徴のうち461特徴(95%以上)を同じ方向に再現した。
今後の期待
本研究は、麻酔下の脳を単純に「活動が弱まった状態」と捉えるのではなく、「神経活動の持続性が低下し、脳領域間の連携も弱まる状態」(「神経活動の時空間的孤立」)として捉えられることを示しました。行動反応性の回復に伴って神経動態が逆方向に変化したことから、「神経活動の時空間的孤立」は外界への反応性が低下した脳状態を特徴付ける指標の一つになる可能性があります。
さらに、解剖学的に大きく異なる生物種でも神経活動の動的特徴を共通の「物差し」として比較でき、その「物差し」を今後さまざまな脳状態や疾患へ応用することで、種や計測スケールを超えた脳機能理解につながると期待されます。
論文情報
<タイトル>
Comprehensive profiling of brain dynamics during anesthesia across phylogeny
<著者名>
Andrea I. Luppi, Lynn Uhrig, Jordy Tasserie, Golia Shafiei, Antoine Légaré, Kanako Muta, Junichi Hata, Hideyuki Okano, Daniel Golkowski, Andreas Ranft, Rudiger Ilg, Denis Jordan, Silvia Gini, Zhen-Qi Liu, Yohan Yee, Pablo Castro, Camilo M. Signorelli, Rodrigo Cofre, Alain Destexhe, David K. Menon, Emmanuel A. Stamatakis, Patrick Desrosiers, Paul DeKoninck, Christopher W. Connor, Alessandro Gozzi, Ben D. Fulcher, Bechir Jarraya, Bratislav Misic
<雑誌>
Nature Neuroscience
<DOI>
10.1038/s41593-026-02460-4
補足説明
[1] 時系列特徴
時間とともに変化する信号の性質を数値化したもの。
[2] 内在的神経時間スケール
神経活動が過去の状態の影響をどの程度の時間保持するかを表す指標。
[3] 神経活動の時空間的孤立
局所活動の時間的持続性と脳領域間同期がともに低下する麻酔下の神経動態を表す概念。
[4] 機能性磁気共鳴画像法(fMRI)
脳活動に伴う血流や血液酸素化の変化を磁気共鳴画像法(MRI)で計測する方法。
[5] カルシウムイメージング
神経活動に伴う細胞内カルシウム濃度の変化を蛍光で観察する方法。
[6] hctsa
多数の時系列解析手法を同じ枠組みで適用し、信号を高次元の特徴量として表す解析法。hctsaはhighly comparative time-series analysis の略。
[7] 同期性
異なる脳領域の活動が時間的にどう連動して変化するかを表す。
[8] 視床中心正中核への脳深部刺激(DBS)
脳内の特定部位を電気刺激する方法。本研究では視床中心正中核(視床の一部で、覚醒や外界への反応性に関わる領域)への刺激によりマカクの行動反応性([9]参照)が回復した。DBSはdeep brain stimulation の略。
[9] 行動反応性
外界からの刺激に対して行動として反応できる性質。
[10] 遺伝子発現分布、Brain/MINDS、Marmoset Gene Atlas
遺伝子発現分布は脳のどの場所で、どの遺伝子がどの程度働いているかを示す情報。Marmoset Gene AtlasはBrain/MINDS(https://brainminds.jp/)で公開されているコモンマーモセットの脳の遺伝子発現データベースである。
[11] GABAA受容体、NMDA受容体、AMPA受容体、HCN1
神経細胞の興奮や抑制、活動リズムを調節する分子。
[12] シナプス
神経細胞同士が情報をやりとりする接合部。
[13] 生物物理学的全脳モデル
神経細胞・シナプスの性質と脳領域間結合を組み合わせ、全脳活動をシミュレーションする数理モデルである。
[14] GABA作動性麻酔薬
アミノ酸の一種であるGABA(ギャバ)による神経の抑制作用を強める麻酔薬。
国際共同研究グループ
理化学研究所 脳神経科学研究センター マーモセット神経疾患モデル研究チーム
チームディレクター 岡野栄之 (オカノ・ヒデユキ)
東京都立大学 大学院人間健康科学研究科 放射線科学域
准教授 畑 純一 (ハタ・ジュンイチ)
特任助教 牟田佳那子 (ムタ・カナコ)
オックスフォード大学(英国) 精神医学部門
博士 アンドレア・ルッピ(Andrea I. Luppi)
研究支援
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)脳神経科学統合プログラム「脳データ統合プラットフォームの開発と活用による脳機能と疾患病態の解明(研究分担者:岡野栄之、JP23wm0625001)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(B)「脳活動MRIによる麻酔薬理ネットワークの解明(研究代表者:畑純一、JP20H03630)」、文部科学省先端研究基盤共用促進事業「MRIプラットフォーム(研究分担者:畑純一、JPMXS0450400622)」などの助成を受けて行われました。
発表者・機関窓口
<発表者> ※研究内容については発表者にお問い合わせください。
理化学研究所 脳神経科学研究センター マーモセット神経疾患モデル研究チーム
チームディレクター 岡野栄之 (オカノ・ヒデユキ)
東京都立大学 大学院人間健康科学研究科 放射線科学域
准教授 畑 純一 (ハタ・ジュンイチ)
特任助教 牟田佳那子(ムタ・カナコ)
<機関窓口>
理化学研究所 広報部 報道担当
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東京都公立大学法人 東京都立大学管理部 企画広報課広報係
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