【研究発表】生物多様性ホットスポットにおけるサシガメ類の種多様性を解明―東京都都市外交人材育成基金の留学生が主導した国際共同研究により新種9種を発見 ―

お知らせ
1.ポイント

 ●生物多様性ホットスポットであるインドシナ半島およびその周辺地域から採集されたサシガメ科Biasticus属の標本を対象に、DNA塩基配列に基づく系統解析および種判別解析と、外部形態・交尾器形態の詳細な観察を組み合わせた「統合分類学的アプローチ(Integrative Taxonomy)」を適用した。その結果、17種が識別された。
 ● そのうち9種が新種として記載・命名された。
 ● 従来の分類体系においてSphedanolestes属に分類されていた2種が、実際にはBiasticus属であることが判明した。
 ● ベトナムに生息する既知種は、6種から15種に増加した。
 ● インドシナ半島およびその周辺地域で、昆虫類の種多様性が高く、学術的に未発見の種が多く存在することが示された。
 ● ベトナム、日本、ラオス、タイ、台湾の研究者からなる国際共同研究として実施された。

2.概要

 我々人類の持続可能な未来のため、生物多様性の保全は急務となっています。生物種の発見・分類・命名は、その解明において最も基本的で重要な行為です。なぜなら、野生生物に関するさまざまな知見は、種名に紐づけられて蓄積・整理・体系化され、種名は情報の検索キーとして用いられるからです。
 昆虫類は、陸上生態系において存在量(生物量)が膨大であり、捕食−被食のネットワークを介した他の生物群の個体数の調節、動植物の遺骸などの機械的分解、微生息環境の形成、花粉媒介や種子の散布など、重要な役割を果たしています。しかし、種多様性の解明度が低いため、生物学的な知見が蓄積されていない分類群が多く残されています。カメムシ目サシガメ科のBiasticus属は、捕食性のカメムシ類(昆虫)であり、農業生態系においては害虫の天敵としても重要な役割を果たすと考えられています。しかし、この属の種多様性の解明が遅れています。
 ベトナム科学技術院生物学研究所研究員及び東京都立大学大学院理学研究科客員研究員のHa Ngoc Linh、東京都立大学大学院理学研究科生命科学専攻の江口克之准教授、東京農業大学の石川忠教授らによる国際共同研究グループは、生物多様性のホットスポットであるインドシナ半島に生息するBiasticus属の種多様性の解明に取り組んでいます。本研究では、分子系統学的アプローチ(DNA塩基配列情報に基づく系統解析および種判別解析)と、外部形態や交尾器形態の詳細な観察を組み合わせた「統合分類学的アプローチ(Integrative taxonomy)」を適用し、種の識別と分類を行いました。
 その結果、インドシナ半島およびその周辺地域から17種が識別され、Biasticus属における種多様性が高いことが明らかになりました。このうち9種は新種として記載・命名され、2種を近縁なSphedanolestes属からBiasticus属に再分類されました。
 また、オスの交尾器には種の正確な分類に有用な特徴が多く見られることもわかりました。これは、オスの成体であれば、標本の状態が悪くDNA塩基配列情報が得られない場合でも、ある程度の確度で種分類ができることを意味します。本研究により、ベトナムに生息する既知種(学名が付けられた種)は6種から15種に増加しました。
 本研究のような国際共同研究は、単に優れた学術的成果を生み出すにとどまらず、参加国・地域の研究者・機関の間に互恵的で対等な信頼関係を醸成し、友好的な国際関係を構築する力強い基盤となります。

3.研究の背景

 ベトナムおよびその周辺のインドシナ半島は、東アジアと東南アジアの生物相が混在する地域であり、世界有数の生物多様性のホットスポットとして知られています。しかし、この地域に生息する昆虫類など多くの陸上無脊椎動物には、種多様性の解明が進んでいない分類群がまだ数多く存在します。種の発見・分類・命名作業を迅速化することは、それらの生物群間の相互作用や生物群と環境との相互作用を含めた生物多様性の全体像を理解し、保全するために必要不可欠です。
 このような背景のもと、第一著者であるHa Ngoc Linh氏が研究員として所属するベトナム生物学研究所(旧称:ベトナム生態学生物資源研究所)の研究者と、最終著者である江口克之(東京都立大学理学研究科生命科学専攻・准教授)は、1999年から四半世紀以上にわたり、インドシナの陸上無脊椎動物の種多様性解明を解明する目的とした共同研究を続けてきました。
 この共同研究では、名古屋議定書※を遵守し、ベトナムへの学術的な利益の還元を常に念頭に置き、特にベトナムの若手研究者の育成に力を注いできました。本研究の第一著者であるHa Ngoc Linh氏も、「東京都都市外交人材育成基金」の奨学生として受け入れて、継続的な研究指導を行ってきました。本研究の成果は、Ha Ngoc Linh氏の学位論文の主要部分となっています。
 ※ 遺伝資源(野生生物の標本も含む)を利用することで得られる利益を、その提供国と利用国で公平に分かち合うための国際的ルールです。2010年に名古屋市で開催されたCOP10で採択され、日本は2017年に批准しました。

4.研究の詳細

 ベトナムをはじめとするインドシナ半島は、他に類を見ない豊かな生物多様性を有する世界的なホットスポットです。そのような場所に生物多様性が集中している理由の一つは、複雑な地形、気候、地質的歴史を持つこの地域にさまざまな生物の祖先群が定着し、それぞれが独立した系統に分化してきたためと考えられます。この地域の真の生物多様性を理解して保全するためには、まずそこに生息する生物の種を一つひとつ正確に識別し、記載・命名する分類学的研究を着実に積み重ねることが必要です。
 カメムシ目サシガメ科(Reduviidae)に属するBiasticus属は、東南アジアから東アジアにかけて分布する捕食性の昆虫であり、農業生態系においては害虫の天敵としても重要な役割を果たすと考えられています。しかし、インドシナ地域では本属の分類学的な研究が遅れており、真の種多様性はこれまで正確に評価されていませんでした。種を正確に分類できなければ、その種の好む生息環境や餌となる昆虫、生活史などに関する情報を集めることができず、農業害虫の天敵としての有用性を評価することもできません。そのため、現代的な分類手法を用いた種多様性の解明が強く求められていました。
 本研究では、DNA塩基配列データ(ミトコンドリアの16S rRNA遺伝子およびCOI遺伝子)に基づくベイズ推定法を用いた系統解析と種判別解析、さらに外部形態および交尾器の詳細な形態学的観察を組み合わせた「統合分類学的アプローチ(Integrative taxonomy)」を採用しました。これにより、ベトナム、台湾、ラオス、タイなどの地域から収集された多数の標本について、各個体がどの種に属するかを精密に判定することが可能となりました。
 統合的分類の結果、インドシナ半島および周辺地域から合計17種のBiasticus属が見つかりました。そのうち9種は新種であることが判明し、B. annamensis、B. tonkinensis、B. aurantiacus、B. luteicorius、B. flavenicollis、B. nigreus、B. huongsonensis、B. huaikaeoensis、B. thailandensisとして記載・命名しました。

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本研究で新種として記載した9種と、Biasticus属に新たに組み入れた2種

 また、従来の分類体系ではSphedanolestes属に含められていた2種が Biasticus 属に再分類されました(B. annulipes、B. gularis)。
 外見が類似した個体群でも、DNA配列データと交尾器の詳細な観察を組み合わせることで、別の種であることが明確に示される例が複数確認されました。このことから、Biasticus属の種多様性がこれまで過小評価されていたことが明らかになりました。この統合的アプローチは、本属に一貫して高い種多様性が存在することを明らかにする上で、決定的な役割を果たしました。
 さらに、オスの交尾器が種の正確な分類に有用な特徴を多く有することがわかりました。これは、オスの成体であれば、標本の状態が悪くDNA塩基配列情報が得られない場合でも、ある程度の確度で種分類ができることを意味します。

【論文情報】
<タイトル>
Integrative taxonomy of the genus Biasticus (Hemiptera: Heteroptera: Reduviidae) known from Vietnam and its surrounding areas
<著者名>
Linh Ngoc Ha, Lam Xuan Truong, Tadashi Ishikawa, Weeyawat Jaitrong, Chi Feng Lee, Bounsanong Chouangthavy, Dai Dac Nguyen, Anh Duc Nguyen, Katsuyuki Eguchi
<雑誌名>
Zoologischer Anzeiger(論文公開日:2026年1月27日)
<DOI>
10.1016/j.jcz.2026.01.010
 本論文の発表にあたっては、東京都立大学図書館/本学図書館が実施するオープンアクセス支援を受けました。

5.研究の意義と波及効果

 現在、世界各地で生物多様性の急速な減少が深刻に危惧されています。地球温暖化や生息地の破壊・劣化、過剰な採取・利用、外来種の侵入といった複合的な人為的要因により、種の絶滅のスピードは種の発見・科学的記載・学術的理解のスピードをはるかに上回っています。そのため、私たちがその存在を知る前に、多くの種がすでに地球上から姿を消してしまっている可能性があります。
 このような危機的状況を前に、未知の種の発見スピードを飛躍的に高めるためには、本研究で採用した、DNA塩基配列に基づく分子系統学的アプローチと詳細な形態学的観察を組み合わせた統合的な分類手法が、極めて有効な手段となります。形態だけでは判別が難しい「隠蔽種」(見た目は同じでも遺伝的に異なる別種)の存在を明らかにできる点で、統合的アプローチは、従来の形態のみに頼った分類学を大きく超える力を有しています。
 地球規模の生物多様性ホットスポットである東南アジアでこのような新しい分類学的手法を普及させることは、この地域の生物多様性の実態解明と保全に極めて重要です。どの種が存在し、どこに生息し、どのような生態的役割を持つのかを知ることは保全対策の立案に直結します。
 一方、生物多様性条約のもとで採択された名古屋議定書は、各国・地域はその領域に存在する生物多様性に対して主権を持ち、その生物多様性の研究や利用から生じる利益は、当該国・地域に公正かつ衡平に還元されるべきものとされています。したがって、他国や地域の生物多様性を研究する際には、その国・地域の生物多様性保全に関する国内法および国際的なルールを厳格に遵守し、研究倫理を尊重したうえで、研究から得られる学術的利益を公平に分配・還元することが求められます。
 こうした名古屋議定書の理念のもと、我々研究グループは、原産地国・地域の若手研究者の育成に精力的に取り組んできました。新世代の分類学者を育成することは、原産地国・地域が自ら自国の生物多様性を自ら研究・保全していく長期的な能力を高めることに直結します。本研究の第一著者であるHa Ngoc Linh氏は「東京都都市外交人材育成基金」の支援のもとで研究指導を受け、博士号を取得しました。

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Ha Ngoc Linhさん(東京都立大学の牧野標本館本館にて)

 このことは、まさに名古屋議定書の理念の実践といえます。
 最終著者である江口が責任者を務める「東京都立大学牧野標本館ABS支援チーム」は、アジア・太平洋地域のさまざまな研究機関との共同研究の経験をもとに、生物多様性分野の国内の研究者へむけて、名古屋議定書に関する各国・地域法令の情報の提供や、法令遵守に関するアドバイスを行っています。

6.問合せ先

<研究や、「東京都立大学牧野標本館ABS支援チーム」に関すること>
東京都立大学 理学研究科 生命科学専攻 准教授 江口 克之
TEL:042-677-2427 E-mail:antist@tmu.ac.jp

<大学・機関に関すること>
東京都公立大学法人 東京都立大学管理部 企画広報課 広報係
TEL:042-677-1806  E-mail:info@jmj.tmu.ac.jp

理学研究科 生命科学専攻 江口 克之准教授

研究発表資料(1.1MB)