【研究発表】木を見て森を見ず”:自閉スペクトラム症児の注意特性と ヒトやモノとのぶつかりやすさの関係の関係

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1 概要

 従来、自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder; ASD)の特徴といえば、社会的コミュニケーションの困難さや、行動・興味・活動の限局性や反復性に焦点が当てられてきました。しかし最近になりASDを抱える児童(ASD児)の日常生活上の問題として、周囲のモノやヒトと衝突しやすいことによる受傷の多さも指摘されるようになりました。本研究では、この衝突しやすさに、ASD児特有な注意特性が関係しているのではないかと考えました。ASD児に特有な注意特性は「部分処理特性」とも呼ばれ、細部の情報に気を取られてしまい全体の情報に注意を向けることに困難さがある特徴を指します。いわば、“木を見て森を見ず”と言える特徴です。本研究では、上肢動作を対象とした行動実験を通して、ASD児の注意特性と衝突リスクの関係を検討しました。

 東京都立大学大学院人間健康科学研究科 樋口貴広教授、菊地謙(当時大学院生)、こどもとかぞくのサポートルームKNOT 本田真美医師、馬場悠輔代表、慶應義塾大学文学部 北洋輔准教授らは、衝突回避行動を計測するために「障害物回避による行為選択」課題を作成しました(図1)。この課題で対象児は、装置の右側のカップに置かれたビー玉を、左側のカップへ移動します。この際、2つの障害物の間にできた隙間の大きさを知覚して、隙間を通り抜けるのか、それとも迂回するのかを判断することが求められますが、ASD児は“木を見て森を見ず”の注意特性により隙間幅全体に注意を向けにくいために、幅が狭まった出口隙間幅(図1左、緑の部分)での衝突が増えると予想されました。

 本課題をASD児13名と定型発達児13名を対象に実施した結果、ASD児は定型発達児よりも、統計的に有意に衝突が見られました。さらに、右側のカップに置かれたビー玉を取るまでの間の視線行動を定量化した結果、定型発達児はビー玉と出口隙間幅の両方への視線移動ができていますが、ASD児は出口隙間幅への視線移動が少なく、ビー玉に視線が集中していました。加えて、出口隙間幅を見ることができていないときに衝突がより生じやすいということが分かりました(図1右)。つまり、ASD児は目先の情報に気を取られてしまうことで、障害物との衝突リスクに影響している可能性があります。

 さらに興味深いことに、ASD児は隙間通過を試みる直前で障害物の上方を迂回しようとする、行為選択の変更が多く認められました。この行動は、目先の行為を一つずつ計画・遂行する戦略によって、行為選択を直前で修正できる可能性を示唆しています。つまり、ASD児の注意特性は、独自の衝突回避戦略にも関連すると解釈することができました。

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図1. 本研究の概要図。本研究では、障害物回避までの視線の動きを定量化しました。その結果、ASD児では出口隙間幅(左、緑の部分)を見ることができていないと衝突行動が増えることがわかりました。

2 ポイント
  • 先を見越した行為選択が求められる障害物回避場面での、ASD児の衝突行動リスクを計測した。
  • ASD児は先の情報に対する視線移動量が少なく、結果的に衝突が生じていることが明らかとなった。
  • 一方で、課題遂行中に行為選択の変更が多く認められることから、ASD児の注意特性は独自の障害物回避戦略にも関連する可能性が示唆された。
3 研究の背景

 これまで、ASD児の衝突のしやすさについては指摘されてきたものの、その原因は明確ではありませんでした。そこで、ASD児は自身の身体と環境との空間的な関係を知覚するのが苦手なことや、複数の動作を1つの連続動作として計画することが苦手なことに着目しました。そして、そうした苦手さの背景に、「部分処理特性」と呼ばれるASD児特有の注意特性があると考えました。もしこの考えが正しければ、複数の動作中に計画的な障害物回避が求められる場面において、ASD児は環境情報全体に注意を向けることが出来ず、衝突リスクが増大するはずです。この考えに基づき、独自に先を見越した行為選択が求められる障害物回避課題を作成し、環境情報全体に注意を向けられないことから頻回な衝突行動がみられるかを検証しました。

4 研究の詳細

 本研究では、年齢と性別構成を一致させたASD群と定型発達群の双方を対象に、本実験で作成した「障害物回避による行為選択」課題を行いました(図1)。この課題において重要なことは、障害物回避行動を選択するまでに、拡大された入口隙間幅(図1左、橙の部分)に騙されることなく出口隙間幅(図1左、緑の部分)のサイズを見極めることができるかどうかという点でした。視線行動を確認するために、参加児には視線解析装置を装着してもらいました。

 この課題における衝突数をASD群と定型発達群で比較した結果、ASD群は有意に衝突回数が多いことが明らかとなりました。視線解析の結果では、ASD群は定型発達群よりも出口隙間幅への視線移動量が少ないことが分かりました(図1右のヒートマップ図)。加えて、ASD群は出口隙間幅を見ていないときほど衝突行動を示すことから、先を見越して運動を計画立てることができていないことが分かりました。この結果は、環境情報全体に注意を向けていないことで衝突リスクの増大につながるという仮説に一致しました。

 さらに興味深いことに、障害物を回避するための行為選択を行う直前で一度静止もしくは隙間通過を試みた後に、障害物の上方を迂回しようとする行動がASD群に多く認められました(行為選択の変更:図2)。この行動は、ASD児が目先の行為を一つずつ計画・遂行するために、隙間通過直前になって行為選択を行っていることを示しているかもしれません。安全管理の観点で言えば、ASD児は行為選択を修正できるという可能性も考えられることから、このような行動は適切であるとみなすこともできるかもしれません。以上より、ASD児の注意特性は独自の衝突回避戦略にも関連すると解釈することができました。

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図2. 行為選択の変更を示す手の動きの例。青い線は三次元動作解析で撮影された参加児の手の動きを示します。隙間入口付近で一度隙間通過を試みようとしている部分が行為選択の変更の様子を表しています(ピンク色)。このような行動がASD児でよく見られたことは、独自の障害物回避戦略を持っている可能性を示唆しています。

5 研究の意義と波及効果

 本研究では、「木を見て森を見ず」というASD児にみられる注意特性が、先を見越した行為選択が求められる障害物回避場面において、障害物との衝突に関連している可能性を示唆しました。ASD児が直面しているヒトやモノとのぶつかりやすさは、目の前のヒトやモノに注意が向きやすいことで、周囲のヒトの動きやモノとの距離感を見誤り、結果的に衝突してしまうことがあると考えられます。そのため、彼らが安全に日常生活を送るためには、衝突の可能性が高い部分をできるだけ早く特定することが重要です。そのため本研究の成果は、ASD児が環境全体を把握できるようなトレーニングや、注意特性に応じた日常生活での環境調整につながることが期待されます。

【用語解説】

(1)部分処理特性
ASD者は、情報を把握するときに細部に注目しやすい傾向があります。情報を詳細に処理する一方で、全体のコンテキストやパターンを理解するのが難しいことがあります。この特性は、日常生活や学習、社会的な相互作用において様々な影響を及ぼす可能性があります。

【論文情報】

タイトル:Difficulties in perceptual–motor coordination of reaching behavior in children with autism spectrum disorder.

著者:Ken Kikuchi、 Manami Honda、 Yusuke Baba、 Yosuke Kita、 and Takahiro Higuchi.

掲載誌:Cortex

DOI: 10.1016/j.cortex.2024.08.005

6 問合せ先

(研究に関すること)
東京都立大学大学院 人間健康科学研究科 教授 樋口貴広
TEL:042-677-2967(内線5029)E-mail:higuchit@tmu.ac.jp

(大学に関すること)
東京都公立大学法人
東京都立大学管理部 企画広報課 広報係
TEL:042-677-1806 E-mail:info@jmj.tmu.ac.jp

 

人間健康科学研究科ヘルスプロモーションサイエンス学域 樋口貴広教授
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