1 概要
東京都立大学理学研究科生命科学専攻のミノヴィッチあに香 大学院生(当時)と野澤昌文 准教授は、複数のショウジョウバエ種が持つネオ性染色体[注1]とよばれる起源の新しい性染色体を用いて、もともと常染色体だった染色体が性染色体になると、遺伝子発現[注2]にどのような影響を及ぼすのかを調べました。その結果、常染色体において雌雄で同じように発現していた遺伝子が、その染色体が性染色体化すると性バイアス遺伝子[注3]に進化しやすい傾向があることがわかりました。また、その傾向は特に幼虫において強いことが明らかになりました。
以上の結果は、性染色体の獲得によって、遺伝子発現量を雌雄それぞれに最適化することが可能となり、オスとメスのゲノムレベルでの対立が軽減する可能性を示唆しています。今後多くの生物で同様の解析を行うことで、生物が性染色体を獲得したメリットの一端を明らかにできると期待されます。本研究成果は、2024年7月24日付で「Ecology and Evolution」誌に掲載されました。
2 ポイント
- ネオ性染色体とよばれる起源の新しい性染色体を用いて、ショウジョウバエにおける性染色体化による遺伝子発現の変化を明らかにした。
- これまで性的二型(雌雄の表現型の違い)が小さいと考えられていた幼虫において、性染色体化に伴い多くの遺伝子が性バイアス遺伝子に進化したことを明らかにした。
- Y(やW)染色体の退化という潜在的不利にもかかわらず、性染色体が多様な生物に存在するメリットの一端を解明した。
3 研究の背景
Y(やW)染色体の退化という潜在的不利があるにもかかわらず、性染色体を持つ生物が多様化し得た要因(すなわち性染色体を獲得するメリット)の一つとして「性的対立の軽減」が挙げられてきました。性的対立とは、雌雄で最適な表現型が一致せず最適な表現型をめぐって雌雄が対立している状態を意味し、性的拮抗ともよばれています。雌雄は基本的に同じゲノムを共有しているため、性的対立に陥ると、雌雄はどちらも最適な表現型を実現することができず、表現型はどっちつかずの中間的なものとなります(図1)。したがって、性的対立が蓄積すると多くの表現型が雌雄どちらにとっても非適応的な形質となり、種の存続危機にもなり得ると考えられます。そんな中で、性染色体はゲノムで唯一雌雄に異なる選択圧がかかり得る領域(X染色体はその3分の2がメスを通じて遺伝し、Y染色体はオスのみを通じて遺伝する)であるため、性的対立を軽減するのに有効である可能性が提唱されていました。
もしこの考えが正しければ、性染色体を持つ生物は性染色体を持たない生物に比べて性的対立が小さいはずです。しかし、そもそも性的対立を測定して種間比較することは非常に困難です。また、通常、性染色体の起源[注4]は非常に古いため、仮に性染色体を持つ生物の性的対立が性染色体を持たない生物より小さかったとしても、性染色体以外のゲノム領域や環境要因による影響を排除できません。つまり上記の考えを直接検証するのは非常に難しいと考えられます。
図1.本研究で提唱された仮説
4 研究の詳細
そこで本研究では、性的対立を測定する代わりに「性バイアス遺伝子」を指標として研究を行いました。そして、ネオ性染色体とよばれる起源の新しい性染色体を持つ3種のショウジョウバエと、ネオ性染色体を持たないそれぞれの近縁種を比較することで、性染色体の獲得が性的対立を軽減する要因となり得るかを検証しました。
その結果、ネオ性染色体を持つ3種のショウジョウバエはいずれもネオ性染色体を獲得した後に、特に幼虫においてネオ性染色体上の多くの遺伝子が性バイアス遺伝子に進化する傾向があることがわかりました。一般に、幼虫では成虫に比べて性的対立が小さいと考えられているため、この結果は一見すると意外に思われます。しかし、ショウジョウバエを含む多くの昆虫では成虫の体サイズが雌雄で異なることが知られており、ショウジョウバエではメスは大きいほど、オスは小さいほど適応度[注5]が高いという報告があります。つまり、ショウジョウバエの体サイズは性的対立状態にあると考えられます。昆虫は外骨格[注6]を持ち、成虫になってから体サイズはほとんど変化しないため、成虫の体サイズは幼虫の大きさで決まると考えられます。したがって、幼虫の体サイズも性的対立状態にあると考えられるのです。実際、幼虫で獲得した性バイアス遺伝子の多くは代謝(すなわち体サイズや成長速度)に関わる遺伝子であることがわかりました。ネオ性染色体を獲得した結果、幼虫で代謝に関わる多くの性バイアス遺伝子が進化し、体サイズに関わる性的対立が軽減したと考えられます。
5 研究の意義と波及効果
以上の結果は、性染色体の獲得により、一見すると性的二型(雌雄の表現型の違い)が少ないようにみえる組織や発生段階における性的対立が軽減し得ることを示唆しています。現在、当研究室では直接性的対立を測定する手法の開発も進めており、本結論をさらに検証していく予定です。本研究により、これまで知られていた「環境に依存しない安定的な性比の提供」という性染色体のメリットに加え、「性的対立の軽減」という新たな性染色体のメリットを解明できたものと考えています。
図2.性染色体獲得のメリットとデメリット
6 論文情報
<タイトル>
Evolution of sex-biased genes in Drosophila species with neo-sex chromosomes: potential contribution to reducing sexual conflict
<著者名>
Anika Minovic, Masafumi Nozawa
<雑誌名>
Ecology and Evolution
<DOI>
https://doi.org/10.1002/ece3.11701
7 補足説明
[注1] ネオ性染色体
常染色体が性染色体と融合することで生じた性染色体化した染色体のこと。ショウジョウバエにおいても独立に複数回ネオ性染色体が生じたことが知られている。本研究で用いた3種のネオ性染色体はいずれも誕生してからの時間が約100万年以内であり非常に新しいため、性染色体進化の初期段階を知る上で非常に適した研究材料である。
[注2] 遺伝子発現
ゲノムに存在する遺伝子がRNAやタンパク質に合成されるプロセスのこと。本研究ではタンパク質をコードする遺伝子のmRNAへの転写量を測定して遺伝子発現量を調べている。
[注3] 性バイアス遺伝子
遺伝子発現の量が雌雄で異なる遺伝子のこと。メスでより多く発現する遺伝子をメスバイアス遺伝子、オスでより多く発現する遺伝子をオスバイアス遺伝子という。同じ遺伝子でも、発生段階や組織によってバイアスの程度は変化し、一般に昆虫では幼虫より成虫において性バイアス遺伝子が多いことが知られている。
[注4] 性染色体の起源
性染色体の誕生した時期や由来のこと。ヒトを含む哺乳類(カモノハシなどの単孔類を除く)の性染色体は約1億8000万年前に一対の常染色体から生じたと考えられている。一方、ショウジョウバエのX染色体は6000万年以上前にやはり常染色体から生じたとされている。ただし、ショウジョウバエのY染色体はX染色体と相同性がないため、B染色体(過剰染色体)とよばれる特殊な染色体に由来するとも考えられている。
[注5] 適応度
1つの個体が生息する環境において繫栄するための能力の総体のこと。「ある個体が生涯で残した次世代個体のうち、繁殖できる段階まで成長できた個体の数」と定義されることが多い。
[注6] 外骨格
皮膚に付属するように形成される骨格のこと。ヒトが持つ内骨格の対義語として用いられる。昆虫ではクチクラが外骨格の主要な構成成分である。
8 問合せ先
(研究に関すること)
東京都立大学大学院 理学研究科 生命科学専攻 准教授 野澤昌文
TEL:042-677-2576 E-mail:manozawa@tmu.ac.jp
(大学に関すること)
東京都公立大学法人
東京都立大学管理部 企画広報課 広報係
TEL:042-677-1806 E-mail:info@jmj.tmu.ac.jp
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