1. 概要
骨格筋は、収縮することで身体に動きを与える臓器と考えられてきましたが、最近はそれだけではなく、複数のホルモン様・生理活性物質を分泌し、身体の様々な部位の生理機能を調節することが明らかになってきています。筋細胞が分泌する物質は、総称してマイオカインと呼ばれています。その機能は多岐にわたっており、とくに、健康効果を生み出すメッセンジャーとしての役割が予測されています。
東京都立大学大学院人間健康科学研究科の三田佳貴 博士研究員、朱浩男(研究当時:大学院生)、濵口裕貴(研究当時:大学院生)、古市泰郎 助教、眞鍋康子 准教授、藤井宣晴 教授らの研究グループは、R-spondin3(Rspo3)※1というタンパク質が、骨格筋細胞を遅筋タイプに変化させることを発見しました。筋細胞には、疲労しにくく持久力に優れたマラソン型の遅筋と瞬発的な動きに優れたスプリント型の速筋が存在します。本研究では、Rspo3が遅筋で限定的に産生されていて、分泌されると近傍に局在し骨格筋細胞の源となる細胞(筋芽細胞※2)に作用し、遅筋と同じ性質へ変容させることが明らかになりました。遅筋が多い人はマラソンなど持久力を求められる競技に適性があるとされていますが、遅筋/速筋の割合は生まれながらに決まっており、後天的に大きく変化させることはできないとされてきました。しかし、本研究でRspo3はそれを可能とする新規の生理因子であることを示しています。この作用は筋芽細胞のWnt/β-cateninシグナル経路※3を活性化することで生じることも明らかにしました(図1)。
トレーニングによる筋サイズの増加には、筋芽細胞が関わっていることも最近になって報告されていることから、遺伝的制約により難しいとされてきたトレーニングによる遅筋化の実現につながるかもしれません。また、寝たきりや2型糖尿病の患者は、遅筋が重度に萎縮することから本研究による成果を応用すれば不活動や代謝疾患を原因とした筋萎縮の予防や治療などの医療に応用できる可能性もあります。
本研究成果は2022年7月29日付けで、Springer-Natureが発行する国際科学誌「Scientific Reports」のオンライン版に掲載されました。
2. ポイント
- 骨格筋細胞には、マラソン型の遅筋線維と、スプリント型の速筋線維がある(筋細胞は細長いため、遅筋線維と呼ばれる)。
- 遅筋線維に限定して存在するマイオカイン、Rspo3を発見した。
- Rspo3は、筋芽細胞のWnt/β-cateninシグナル経路を活性化して遅筋線維の形成を促す。
- Rspo3は、遅筋化を促すトレーニング論の確立につながる可能性や筋萎縮防止の医療標的分子として応用できる可能性がある。
3. 研究の背景
筋細胞には、遅筋線維(Type I 線維)と速筋線維(Type II 線維)の2種類が存在し、これらには収縮速度や疲労耐性といった身体を動かすために必要な機能に違いがあります。疲労耐性が高く持続的に収縮できるのが遅筋線維で、瞬時に爆発的な力で収縮できるのが速筋線維です。遅筋線維と速筋線維の量には個人差があり、持久型のマラソンと瞬発型のスプリントのどちらをより得意とする体質(生理的特性)なのかは、これらの比率に左右されます。筋線維タイプは、加齢や病気などで緩やかに変化することはあるものの、遺伝的な決定要素が強く後天的な変化はわずかにしかないとされてきました。
本研究は、遅筋線維と速筋線維に厳密に区別する遺伝子工学的手法を用いて、筋線維タイプを後天的に変化させるマイオカインを発見したものです。
4. 研究の詳細
骨格筋細胞に発現する遺伝子は、遅筋線維と速筋線維で異なると考え両者の特徴を解析しました。遅筋線維だけに蛍光タンパク質※4が産生されるように操作した遺伝子組み換え※5マウスを使用し、蛍光タンパク質の有無で筋線維タイプを遅筋線維または速筋線維に区別・採取しました。遺伝子発現解析の結果、遅筋線維にのみ存在し細胞外に分泌されるタンパク質「R-spondin3(Rspo3)」を発見しました。筋芽細胞にRspo3を添加し培養したところ、分化した筋管細胞※6には遅筋線維の主要構成物質であるミオシン重鎖※7I 型が増加したのに対し、速筋線維の主要構成物質であるミオシン重鎖 II 型には変化がありませんでした。このことから、Rspo3が筋芽細胞の遅筋化を誘導することが示されました。また、Rspo3を添加したところ、細胞内でβ-cateninと呼ばれる遺伝子調節因子が増加することから、Rspo3は筋線維内のWnt/β-cateninシグナル経路を活性化していることがわかりました。そこで、この経路の阻害剤を加えβ-cateninを人為的に減少させたところ、ミオシン重鎖 I 型の上昇が抑えられることが明らかになりました。このことは、Rspo3がWnt/β-cateninシグナル経路を介してミオシン重鎖 I 型タンパク質の合成を促進させることを示しています(図2)。
5.研究の意義と波及効果
本研究では、筋線維タイプによって分泌されるマイオカインが異なることを明らかにしました。これは、筋線維タイプの違いは収縮機能だけでなく、分泌器官としての役割も異なることを意味します。本研究の発見は、筋芽細胞の運命決定をコントロールすることで目的とする筋線維タイプを後天的に誘導できることを意味します。
近年、トレーニングによる筋サイズの増加に筋芽細胞が関与することが明らかとなってきたことから、Rspo3を産生する遅筋線維を鍛えることで、周辺の筋線維から遅筋化させていくことが可能になるかもしれません。また、遅筋線維は不活動や2型糖尿病によって重度の筋萎縮を起こすことから、遅筋線維を維持する医療戦略が求められています。Rspo3を骨格筋に注射導入する、あるいは本人から回収した骨格筋幹細胞※8をRspo3で処置し遅筋化を誘導し、再び骨格筋へ移植することで、萎縮の進んだ遅筋線維を回復させることができる可能性が生まれました(図3)。
【用語説明】
(※1)R-spondin3:タンパク質名。分泌されるために必要な配列(シグナルペプチド)を持った分泌タンパク質であり、受容体(細胞が細胞外の生理活性因子を捕まえるための構造)に結合できる構造を2つ持ち、胎盤や消化管からの分泌がこれまでに報告されている。筋線維での機能についてこれまで明らかになっていない。
(※2)筋芽細胞:これから筋線維になることを方向づけされた細胞。出生後の生体内では主に骨格筋の幹細胞から供給され、活発な細胞増殖により細胞数を増やし、互いに融合することで複数の細胞核を持つ筋管細胞へと形を変える。
(※3)Wnt/β-cateninシグナル経路:Wntと呼ばれる分泌因子を起点とした細胞内情報伝達経路。基本的な情報伝達の方法としてWntが細胞外で受容体に結合するとβ-cateninと呼ばれるタンパク質が細胞内で蓄積し、蓄積したβ-cateninが細胞核内に移動することで遺伝子の調節が行われる。胎児の段階で遅筋線維が出来上がる過程や生まれた後に骨格筋を維持する上で欠かせない情報伝達経路の一つとされる。
(※4)蛍光タンパク質:ある特定波長の光をエネルギーとして吸収し、別の波長の光として放出する(蛍光)性質を持ったタンパク質。
(※5)遺伝子組み換え:ある生物において機能を持ったDNA配列を別の生物の細胞へ導入し、導入された細胞のゲノム(1個の細胞または生物が担う全遺伝情報)に取り込ませ、機能を持たせる操作のこと。
(※6)筋管細胞:筋芽細胞同士が融合することで出来た複数の細胞核を持つ細胞。収縮機能を持ち、骨格筋特異的に存在する代謝関連タンパク質の合成が始まる。培養系においては、生体内の筋線維に比べ幼若ながらも筋線維と同等なものとして扱われる。
(※7)ミオシン重鎖:筋線維が収縮するために必要なタンパク質の一つ。頭部と尾部という2つの特徴的構造を持つ細長い形をしたタンパク質。筋線維の場合、2つの重鎖が互いに尾部を絡めることで線維状の構造を作り出す。頭部はアクチンと呼ばれるタンパク質に結合することができ、結合した状態で振り子のように頭部を動かしアクチンを引き寄せることで収縮を生み出す。筋線維タイプによって合成されるミオシン重鎖に違いがあることから、このタンパク質を指標として筋線維タイプは分類される。
(※8)骨格筋幹細胞:筋線維の上に付着しており骨格筋になることを方向づけされた筋芽細胞よりも未熟な細胞。普段は分裂することのない細胞であるが、筋線維へ刺激が入ると増殖を開始し、増殖した一部の細胞は筋芽細胞へ変化する。残りの細胞は再び分裂を停止し、筋線維の上で次の刺激に備える。
【論文情報】
<タイトル>
“R-spondin3 is a myokine that differentiates myoblasts to type I fibres”
<著者>
Yoshitaka Mita, Haonan Zhu, Yasuro Furuichi, Hiroki Hamaguchi, Yasuko Manabe & Nobuharu L. Fujii
<掲載誌>
Scientific Reports
<DO>
10.1038/s41598-022-16640-2
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人間健康科学研究科 ヘルスプロモーションサイエンス学域 藤井 宜晴 教授