1.概要
界面活性剤(注1)を水に分散させると、界面活性剤の疎水基同士が結合し、自己会合体(注2)を形成します。球状になったものを「ミセル」(注3)、膜状になったものを「二分子膜」とよびます。二分子膜を隔てた両側では、幾何学的に分離されており、膜を隔てた水の交換は欠陥や孔を通してのみ行われます。どちらの側も同等で対称性があると考えられますが、先行研究では、この対称性が破れて、片側の水が多くなることが示唆されています。この現象は、タンパク質の交換などと関係しているため、生物学的にも興味深いですが、この対称性の破れの存在は明確になっていません。
東京都立大学大学院理学研究科物理学専攻の栗田玲教授、金澤拓未氏(研究当時:大学院生)、寺田行宏氏(研究当時:大学院生)、谷茉莉助教らの研究グループは、二分子膜の相転移現象を詳細に観察しました。実験では、ミセル相が連結した構造や、自己相似性(注4)の破れなど、特異的な相転移挙動が見られました。さらに、現象論的方程式によるシミュレーションも行い、実験結果を定量的に再現することに成功し、相転移のダイナミクスを明らかにしました。このシミュレーションから、片側の水が多くなるという対称性の破れは今回の系では起きていないことが示されました。今回、現象論的方程式で記述できたことから、鏡像異性体が混ざった系におけるトポロジカル界面(注5)の形成への応用といった波及効果が見込まれ、今後の発展が期待されます。
■本研究成果は、6月29日付けでAmerican Physics Societyが発行する英文誌Physical Review Researchに発表されました。本研究の一部は、学術振興会科学研究費補助金(基盤B No.20H01874)の支援を受けて行われました。
2.ポイント
- 二分子膜を隔てた水分量の変化が起こる対称性の破れが存在するかどうかは重要な課題でした。
- 二分子膜における相転移が、通常の相転移と異なり特異的な転移挙動を示すことを発見しました。
- 現象論的方程式によるシミュレーションで実験結果の再現に成功し、メカニズムを解明しました。
- シミュレーションから、この二分子膜系では対称性の破れは起きていないことを明らかにしました。
- シミュレーションは、鏡像異性体系などの界面形成の制御といった波及効果が期待されます。
3.研究の背景
親水基と疎水基をもつ界面活性剤分子を水に分散させると、界面活性剤分子の疎水基同士が結合し、ミセルや二分子膜とよばれる膜状の自己会合体を形成します。二分子膜が形成された時、幾何学的に水は二分子膜を隔てた両側(InsideとOutside)に分離されます。二分子膜は対称であるため、InsideとOutsideも同等であると考えられます。界面活性剤にコロイドを加えた先行研究では、この対象性が破れ、水が片側に多く集まるInsideとOutsideの対象性が破れる相転移が示唆する結果が報告されています。しかしながら、界面活性剤だけで対称性の破れが起きているのか、それともコロイドの影響による対称性の破れなのかは明確になっていませんでした。膜を隔てた水の輸送は、欠陥や孔を通してのみ行われ、タンパク質の交換などと関係しています。そのため、水が片側に多く集まるInsideとOutsideの対称性の破れが起こる条件やメカニズムを明らかにすることは、生物学的にも重要な課題となっています。
4.研究の詳細
・相転移ダイナミクスの実験観察
本研究グループは、C10E3という界面活性剤を用いて、二分子膜が3次元的につながったスポンジ相がミセル相に相転移する様子を観察しました。 図1は相転移する温度(転移温度)近傍(温度差1度)のときの相転移の様子を示しています。スポンジ相の中からミセル相が核形成して現れています。この時、InsideとOutsideが連結して現れるという特徴的な様子が観察されました。InsideとOutsideは同等ですが、二分子膜で隔たれているため、合体することはありません。
一方、転移温度から離れた、温度差が5度の時の相転移挙動を示したものが図2です。先程と同様にスポンジ相の中からミセル相が核形成して現れています。時間が経つにつれミセル相が拡大し、ミセル相がネットワークを形成することがわかりました。すなわち、多数相はミセル相であることがわかりました。
通常の相転移では、少数相が核形成し、その形状を保ったまま成長します。そのため、時間が経過しても、大きさは変わるもののパターンは変化しないという自己相似性という性質があります。今回の温度差が5度の相転移挙動では、多数相が核形成し、ドロップレットからネットワークに変化するという自己相似性の破れがあることがわかりました。これらの相転移挙動は、通常の相転移と大きく異なることがわかりました。
図1 転移点近くの相転移挙動(温度差1度)。(a) 40秒後、(b) 155秒後の顕微鏡画像。白線は100 μmに相当。スポンジ相の中にミセル相が核形成する。このとき、InsideとOutsideが連結して、現れる。
図2 転移点近くの相転移挙動(温度差5度)。(a) 9.5秒後、(b) 12.5秒後、(c) 48.5秒後、(d)13600秒後の顕微鏡画像。白線は100 μmに相当。スポンジ相の中にミセル相が核形成し、成長する。最終的にミセル相が連結して、ネットワークを形成している。
・数値シミュレーション
この特異的な相転移ダイナミクスをあきらかにするため、本研究グループは濃度(φ)の他にInsideとOutsideを表す変数(Γ)を導入した現象論的方程式を導き、その式を用いて数値シミュレーションを行いました。この現象論的方程式では、φとΓの相関長(注6)の比と温度が主な制御変数(注7)となります。
図3は数値シミュレーションの結果を示しています。(a)は温度が転移点近傍で、相関長の比が1のときの時間発展の様子です。白と黒はInsideとOutsideに対応します。実験結果と異なり、それぞれが独立したドロップレットになることがわかりました。(b)は温度が転移点近傍で、相関長の比が5のときの時間発展の様子です。実験結果のように、白と黒が連結して現れる様子が観察されました。(c)は温度が転移点から遠く、相関長の比が5のときの時間発展の様子です。初期では白と黒の連結したドロップレットが現れますが、後期では、白と黒がネットワーク上になっています。すなわち、自己相似性が破れており、図2の実験結果と一致しています。相関長の比が5のとき、非常によく実験結果を再現していることがわかりました。
図3 現象論的方程式によるシミュレーション結果。(a)転移点近傍で、相関長の比が1のとき。(b)転移点近傍で、相関長の比が5のとき。(c)転移点から離れた条件で、相関長の比が5のとき。 (b)と(c)は実験をよく再現している。
・対称性の破れの有無
上記で示したシミュレーション結果は、InsideとOutsideの平均値が0、すなわち、対称性があるときの条件でした。ここで、Γの平均値を0.2としたとき、対称性が崩れた条件となります。この場合、ドロップレットが連結せず、独立したものになることがわかりました。これは実験の観察結果と一致していません。そのため、実験の系は対称性の破れが起きていないことがわかりました。
5.研究の意義と波及効果
今回の研究では、二分子膜系におけるInside-Outsideの対称性の破れの有無について、詳細に調べることができました。さらに、エネルギー的に等価なInsideとOutsideという2つの状態への相分離を記述する現象論的方程式で記述することができました。このようなエネルギー的に等価な2状態は二分子膜に限った話ではありません。例えば、右巻きと左巻きのように鏡像異性体が混ざった系においても、同様な式で記述できると予想されます。さらに、液晶系や高分子結晶、カイラル結晶など多くの系での応用が可能であると考えます。このような右巻きと左巻きの界面は、トポロジカル界面の一種であり、興味深い物理現象が期待されています。相関長の比を大きくすることでトポロジカル界面の作成が可能になる可能性があり、将来、様々な応用が期待されます。
【用語解説】
(注1) 界面活性剤:分子内に親水基と疎水基をあわせ持つ分子のこと。水と油の間に入り、界面張力を低下させる。
(注2) 自己会合体:自発的に集合し、形成された構造のこと。
(注3) ミセル、スポンジ:自己会合体の一種で、球状に集まったものがミセル、膜状になったものが二分子膜とよばれる。二分子膜が3次元的につながったものがスポンジとよばれる。
(注4) 自己相似性:相分離のパターンが、初期から後期まで大きさは変わるもののパターンの形状は保ったままになること。
(注5) トポロジカル界面:幾何学的に異なる状態(トポロジー)が連結したとき、その間の界面のこと。右巻きと左巻きの間の界面もトポロジカル界面の一種となる。
(注6) 相関長:空間的に相互作用が影響する距離のこと。
(注7) 制御変数:温度や圧力など外から入力する変数のこと。
【発表論文】
<タイトル>
“Dynamics and mechanism of a deswelling transition of the sponge phase in a bilayer membrane system”
<著者名>
Rei Kurita, Takumi Kanazawa, Yukihiro Terada, and Marie Tani
<雑誌名>
Physical Review Research (2022)
<DOI>
https://doi.org/10.1103/PhysRevResearch.4.023254
7.問合せ先
<研究に関すること>
東京都立大学大学院 理学研究科 教授 栗田 玲
TEL: 042-677-2505 E-mail: kurita@tmu.ac.jp
<大学・機関に関すること>
東京都公立大学法人
東京都立大学管理部 企画広報課 広報係
TEL: 042-677-1806 E-mail: info@jmj.tmu.ac.jp
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