国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学大学院工学研究科の蒲 江(ホ コウ) 助教、竹延 大志 教授らの研究グループは、京都大学エネルギー理工学研究所の松田 一成 教授、宮内 雄平 教授、東京都立大学の宮田 耕充 准教授らの研究グループとの共同研究で、原子スケールの厚みを持つ半導体に歪みを与えることで、世界で初めて、室温において右巻き・左巻き円偏光注1)発光を電気的に生成及び切替可能な発光デバイスの実現に成功しました。
円偏光は光の情報(右巻き・左巻き)と電子の量子情報(上スピン・下スピン)を相互変換可能であり、将来の光量子通信や量子コンピュータ注2)の担い手として期待されています。そのためには、電気的に円偏光を生成及び切替できる光源が必要不可欠ですが、従来実現されている円偏光発光デバイスの多くは片方の円偏光しか制御できません。
本研究成果により、次世代量子情報通信・コンピューティングの光源技術としての応用が期待されます。
本研究成果は、2021年7月24日付ドイツの科学雑誌 「Advanced Materials」オンライン版に掲載されました。
本研究は、日本学術振興会 科学研究費事業 『JP15H05412, 15K13337, 15H05408 16H00918, 16H00911, 16H06331, 17K19055, 18H01832, 19K22142, 20H02605, 20H05664, 19K15383, 19K22127, 20H05189, 20H05664, 20H05862, 20H05867』、国立研究開発法人 科学技術振興機構CREST 『JPMJCR17I5, JPMJCR16F3』、近藤記念財団 研究助成、旭硝子財団 研究助成の支援のもとで行われたものです。
【ポイント】
- 特殊な光電子物性を有する原子層半導体において、歪みを与えることで、室温で円偏光発光を生成可能な発光デバイスの作製に成功。
- デバイスの歪み方向や電場(電流)方向を変えることで、右巻き円偏光と左巻き円偏光を制御するメカニズムを提唱し、初めて室温において円偏光発光の二色比の電気的な切替に成功。
- 円偏光とスピンの変換を利用した量子情報通信の光源技術としての応用に期待。
【研究背景と内容】
光は右巻き円偏光と左巻き円偏光という2つの自由度を有しており、全ての光はこの2つの円偏光の重ね合わせでできています。右巻き円偏光と左巻き円偏光は、電子の量子情報である上スピンと下スピンと相互変換できるため、光を利用した量子通信・コンピューティングの情報担体として重要な役割を担います。通常、円偏光はレーザー光に光学板等を用いて間接的に生成されていますが、デバイス応用の観点からは電気的に直接円偏光を制御可能な光源・デバイスが望まれます。例えば、従来の無機材料や有機材料を用いた円偏光発光デバイスは片方の円偏光のみ制御可能であったり、デバイス駆動に強磁場暴露や低温環境が必須であったりといった制限がありました。従って、室温で円偏光を自在に切替可能なデバイスの実現が期待されています。
本研究では、円偏光を生成及び制御可能な物質として、原子層の厚みを有する半導体である、遷移金属ダイカルコゲナイド(TMDC注3)、図1上)に注目しました。TMDCは赤外―可視光領域の発光材料であることに加え、図1下のような特殊な結晶構造に由来した特異なバンド構造(バレー分極注4))を有しています。このバレー分極に起因するスピン選択則(円偏光選択則)注5)により、TMDCは右巻き円偏光と左巻き円偏光を生成可能となります。しかしながら、一般にTMDCを用いて発光デバイスを作製しても、右巻きと左巻きの円偏光は等数生じてしまい、片方の円偏光のみ生成したり、右巻きと左巻きを切り替えたりするのは容易ではありません。また、円偏光状態を効率よく維持するために極低温での測定も避けられない課題があります。
今回、TMDC単層膜に歪みを加えることで結晶構造を変形させ、それに伴うバンド構造変調を活かすことで、室温において右巻き円偏光と左巻き円偏光を生成及び切替可能な発光デバイスを初めて実現しました。
まず、TMDC単層膜と独自技術である電解質(イオンゲル注6))を用いた簡易な発光構造を組み合わせ、TMDCの電流励起発光(EL)を直接観測しながら、その空間分解及び円偏光分解スペクトル測定を行いました(図2左)。この評価により、単層膜内に生じた局所歪み部分において強固な円偏光発光が生じていることを発見しました。図2右のELスペクトルに示すように、局所歪みがない部分の発光では先行研究同様、極低温でのみ僅かな円偏光発光が生じ室温では観測されません。これに対し、歪みがある部分では、室温付近においても比較的大きな円偏光分極が観測されました。これにより、歪みと円偏光発光制御の相関を見出しました。
次に、歪み効果がTMDCのバンド構造(バレー分極)に与える影響を考慮し、歪み方向と電場(電流)方向を最適化することで、右巻き円偏光と左巻き円偏光を生成及び切替可能なメカニズムを提唱しました。これを実証するため、意図的に歪み方向や強度を導入できるプラスチック基板上に、同様な電解質発光デバイスを作製しました(図3)。図3下のように、一様な歪みが加えられたデバイスから生じるELの円偏光分解を調べたところ、室温円偏光の生成と、電場(電流)方向を反転させることで円二色比(右巻き・左巻きの相対強度)も反転できることを実証しました(図3上、電流方向を反転させると右巻きと左巻きの発光強度が反転)。よって、歪み効果を利用することで、TMDCを用いて電気的に切替可能な室温円偏光デバイスを実現しました。
【成果の意義】
本研究の意義は、室温において右巻きと左巻き円偏光発光を電気的に切替可能な発光デバイスを世界で初めて実現した点にあります。特に、TMDC特有の光電子物性であるバレー分極と優れた機械的特徴を結び付け、歪み効果により円偏光発光を制御する機能に昇華させる本研究のアプローチは、基礎と応用研究を横断的に網羅した学術的価値も極めて高い成果であると言えます。得られた室温円偏光発光の二色比は未だ改善の余地があるものの、本研究で示した手法は原理的に右巻き・左巻き円偏光発光を極めて高い二色比で制御可能であると予想されます。本研究の成果により、将来の光量子通信や量子コンピュータの情報担体を担う光源技術として、原子層半導体を用いた発光デバイスの応用展開が期待できます。
【用語説明】
注1)円偏光:
光は、電場成分と磁場成分が進行方向に対して垂直に振動しながら伝搬している。このとき、電場と磁場が時間的・空間的に規則を持って振動しており、この規則性に由来した偏光という自由度を有している。特に、電場または磁場が周期的に(らせん)回転しながら進行する場合は、円偏光と呼び、回転の方向に応じて右巻き・左巻きの円偏光と区別される。
注2)量子コンピュータ:
量子力学特有の物理状態である、重ね合わせ状態を利用して情報処理・演算するコンピュータを量子コンピュータという。従来のコンピュータに比べ、遥かに速く多くの情報を安全に計算できる。この重ね合わせ状態による量子コンピュータの情報単位は、量子ビットと呼ばれる。
注3)遷移金属ダイカルコゲナイド(TMDC):
遷移金属原子とカルコゲン原子から成る層状物質であり、原子の組み合わせにより多種多様な物理的性質を有している。これらの層状物質は、層と層が弱い力で重なっているため容易に薄膜化でき、理想的に原子1層分の厚みを持つ単層膜が作製可能である。特に、モリブデン・タングステン原子と硫黄・セレン原子から成る単層TMDCは半導体的な性質を持ち、可視―近赤外領域の発光材料となることが知られている。
注4)バレー分極:
固体中の電子が連続的にとり得る準位を示したものがエネルギーバンドである。バンド内において電子(正孔)がとり得る極小(極大)のエネルギーバンドをバレー(谷または山)と呼ぶ。特に、バンド内にバレーが複数存在し、かつ、これらのバレーが磁気的に区別できる状態をバレー分極と通称されている。単層TMDCはバンド内に磁気的に非等価なバレーが2つ存在し、このバレー分極により円偏光発光が生じる。
注5)スピン選択則(円偏光選択則):
物質が光を吸収・放出する場合、電子のエネルギー保存則と運動量保存則を両方満たす必要がある。特に、後者は軌道角運動量とスピン角運動量があり、これらを保存するように光学遷移が生じる。この際、上・下スピン電子の遷移は、右巻き・左巻き円偏光に一対一対応するため、光学遷移に円偏光選択則が生じる。
注6)イオンゲル:
イオン液体を高分子に混ぜて固化させたゲル状の電解質をイオンゲルと呼ぶ。イオン液体同様、極めて高い静電容量を有しており、電池応用等も期待されている。加えて、ゲルの特徴である機械的な扱いやすさも併せ持つため、様々な用途・デバイスへの展開が可能である。
【論文情報】
雑誌名:Advanced Materials
論文タイトル:Room-temperature chiral light-emitting diode based on strained monolayer semiconductors
著者:蒲 江*(名古屋大学)、Wenjin Zhang(京都大学)、松岡 拓史(名古屋大学)、小林 佑(東京都立大学)、高口 裕平(東京都立大学)、宮田 耕充(東京都立大学)、松田 一成(京都大学)、宮内 雄平(京都大学)、竹延 大志*(名古屋大学)*責任著者
DOI:10.1002/adma.202100601
URL:https://doi.org/10.1002/adma.202100601