首都大学東京・理学研究科・化学専攻の安田 健人(やすだ けんと)大学院生と好村 滋行(こうむら しげゆき)准教授、岡山大学・異分野基礎科学研究所の岡本 隆一(おかもと りゅういち)講師らの研究グループは、高分子ゲルや高分子溶液に代表される構造流体中のマイクロスイマーの遊泳機構について調べ、スイマーの遊泳速度と剛体球の抵抗係数を結びつける関係式を理論的に導出しました。
マイクロスイマーは、バクテリアや精子など、流体中を遊泳するミクロン程度の大きさの微生物や生命体を意味します。本研究で得られた関係式により、構造流体中でマイクロスイマーが遊泳するときには、スイマーの形状変形の時間反転対称性を破るか、もしくはスイマーの構成要素の構造対称性を破るかの二通りの機構が存在することがわかりました。さらに、マイクロスイマー自身の大きさと、構造流体がもつ特徴的な長さ(例えば高分子ネットワークの網目サイズ)の間の相対的な大小関係に応じて、スイマーの遊泳速度が形状変形の周波数やスイマーの大きさに様々な形で依存することも明らかになりました。
■ 本研究成果は2018年8月27日付で、ヨーロッパ物理学会が発行する英文レター誌 Europhysics Letters (EPL)誌に掲載されました。
図1:高分子ゲルなどの構造流体中を遊泳する微生物やマイクロスイマー。左の高分子ゲルの網目サイズは微生物よりも大きいが、右の高分子ゲルの網目サイズは微生物よりも小さい。このような網目サイズの違いによって、微生物の遊泳挙動が異なることが予測される。
背景
マイクロスイマーの研究は、バクテリアや精子などの微生物の流体内運動との関連で注目を集めています。一般的に、マイクロスイマーはその可動部位を周期的に形状変形させることで前進します。水のような粘性流体中のスイマーの運動に関しては、Purcellによって提唱された「ホタテ貝の定理」と呼ばれる運動学的な制約があることが知られています。
この定理によると、慣性が無視できる微小な物体は、往復的な形状変形をする(すなわち形状変形の時間反転対称性が保持されている)限り、変形によって移動しても、一周期後には再び元の位置に戻ってしまいます。そのため、粘性流体中でマイクロスイマーが遊泳するためには、何らかの時間反転対称性を破る形状変形が必要となります。2004年にNajafiとGolestanianによって考案された「三つ玉スイマー」は、粘性流体中で並進運動を獲得するミニマムモデルになっています。三つ玉スイマーは二つの可動アームをもち、アーム運動の時間反転対称性を破ることで一方向に遊泳することができます。
これまでのマイクロスイマーの研究において、周囲の流体は空間的な不均一性をもたない一様な流体であるとされてきました。しかし、一般に微生物の遊泳環境は水のようなさらさらの粘性流体ではなく、高分子ゲルや高分子溶液に代表される「ソフトマター」である状況が多く見られます。例えば、女性の生殖管の内部において、哺乳動物の精子は非常にねばねばした子宮頸管粘液の中を移動することが知られています。ソフトマターのねばねば・どろどろとした性質は一般に「粘弾性」と呼ばれ、液体としての粘性と固体としての弾性を兼ね備えていることを意味しています。
ソフトマターが粘弾性的な挙動を示す理由は、物質中にミクロとマクロの中間的な構造が存在するからです。ゼリーなどの高分子ゲルは、架橋された高分子の三次元的な網目構造から成り、その内部に水分を吸収して膨潤します(図1)。この場合、高分子ネットワークの網目サイズが中間的な構造に対応します。網目サイズより十分に小さい空間スケールでは水の液体的性質しか見えませんが、それよりも十分に大きい空間スケールでは高分子ネットワークの弾性的性質が顕著になります。言い換えると、高分子ゲルは網目サイズ程度の空間的な不均一性をもっており、このような物質は一般に「構造流体」とも呼ばれます。
研究成果
首都大学東京・理学研究科・化学専攻の安田 健人大学院生(日本学術振興会・特別研究員DC1)、好村滋行准教授と岡山大学・異分野基礎科学研究所の岡本 隆一講師らの研究グループは、高分子ゲルや高分子溶液に代表される構造流体中のマイクロスイマーの遊泳機構について理論的に考察しました。
具体的には、構造流体中の剛体球の抵抗係数(剛体球にはたらく力と速度の比例係数であり、周囲の構造流体の粘弾性に関する情報が反映される)を三つ玉スイマーに適用することで、スイマーの遊泳速度と剛体球の抵抗係数を結びつける一般的な関係式を導出しました。この関係式によると、三つ玉スイマーが構造流体中で運動するには、二つのアームの周期運動が位相差をもつように時間反転対称性を破るか(粘性的機構)、もしくは二つのアームの振幅が異なるように構造対称性を破ること(弾性的機構)が必要となります。
特に後者の弾性的な遊泳機構は新しい発見であり、構造流体中の三つ玉スイマーは、たとえそのアーム運動の時間反転対称性が保持されていても、アーム運動の振幅が異なれば、構造流体中を遊泳可能であることが理論的に示されました。言い換えると、構造流体中の三つ玉スイマーでは、必ずしも「ホタテ貝の定理」が成り立たないことになります。
背景で述べたように、構造流体の特徴は物質中に空間的な不均一性が存在することであり、その不均一性はミクロとマクロの中間的な長さによって特徴付けられます。そのため、マイクロスイマー自身のサイズと構造流体の特徴的な長さの大小関係に応じて、異なる遊泳挙動が見られることが予想されます(図1)。研究グループは、構造流体の代表例として高分子ゲルを取り上げ、その中での三つ玉スイマーの遊泳挙動を詳細に調べました。高分子ゲルの運動を理論的に記述するために、de Gennes(1991年ノーベル物理学賞受賞)らによって提唱された「二流体モデル」という数理モデルが用いられました。
研究グループが得た三つ玉スイマーの速度表式には一般性がありますが、スイマー自身のサイズがゲルの網目サイズよりも十分大きい場合と小さい場合については、遊泳速度の具体的な数式表現が得られました。遊泳速度の周波数依存性が変化する特徴的な周波数は、高分子ゲルの網目サイズに強く依存することがわかり、そこに構造流体の性質が反映されます。また、遊泳速度が剛体球の大きさに比例しない場合もあり、これは均一な流体では決して見られない効果になっています。
さらに興味深い結果は、スイマーサイズが十分大きい時、遊泳速度の粘性的寄与がアーム運動の周波数の増加とともに減少する領域が存在することです。これは、特徴的な緩和時間をもつ構造流体において、三つ玉スイマーのアーム運動の周波数を大きくすればするほど、遊泳速度は却って遅くなる場合があることを意味しています。
これらの結果は、首都大学東京の同研究グループが2017年にJournal of the Physical Society of Japanに発表した内容をさらに一般化したものになっています。今後は、構造流体中における能動的な物質輸送という、より広い観点からの基礎的な研究のきっかけになることが期待されます。
波及効果と今後の展望
一般に微生物が遊泳する環境は水のような粘性流体ではなく、高分子ゲルや高分子溶液に代表されるソフトマターである場合が多く、これらの構造流体は一般に粘弾性的な振る舞いを示します。このたび構造流体中の三つ玉スイマーの遊泳で得られた知見によると、ソフトマター中の微生物の遊泳には粘性的機構と弾性的機構があり、これらがソフトマターの中間構造に大きく影響を受けると考えられます。これらの遊泳機構の存在は、構造流体中のバクテリアの運動や、細胞の鞭毛運動、繊毛の波打ち運動などを理解するための重要な視点になると予想されます。逆に微生物の運動様式を調べることによって、微生物が生息する流体の不均一構造に関する情報を得ることも可能となります。
微生物よりもさらに小さなスケールに注目すると、例えば細胞内のように多数の生体分子で混み合った環境も一種の構造流体とみなすことが可能であり、細胞中の物質輸送に大きな影響を及ぼします。これまでの細胞内物質輸送に関する研究では、どちらかと言えば、輸送を担っているタンパク質の構造や機能に注目が集まっていましたが、本論文ではこれらのタンパク質が動作する細胞内環境の中間的構造の重要性を指摘しています。逆に細胞内溶液の空間的な不均一性や中間的構造を変化させることによって、細胞内の物質輸送を制御することが可能となります。
一方、構造流体中の遊泳機構を解明することは、我々の日常生活における巨視的な現象においても役立つと考えられます。近年、日本を含む世界中において、異常気象にともなう大規模な自然災害が増えています。火砕流や土石流、泥流などは多くの混合物を含むマクロな構造流体とみなすことができ、このような流体中を推進する救助ロボットなどを設計するためには、本論文で解明された遊泳機構が重要な指針になると考えられます。
その他
本研究は文部科学省と日本学術振興会による科学研究費補助金事業(特別研究員奨励費「ソフトマター中のマイクロマシンの遊泳と拡散」18J21231および基盤研究(C)「ソフトマター中のマイクロマシンの非平衡ダイナミクス」18K03567)の助成を受けました。
書誌情報
掲載誌:Europhysics Letters, Vol. 123 (2018) 34002
論文タイトル:A three-sphere microswimmer in a structured fluid
著者:Kento Yasuda, Ryuichi Okamoto, and Shigeyuki Komura
http://iopscience.iop.org/article/10.1209/0295-5075/123/34002
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