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人文社会学部 人文学科
歴史学・考古学教室
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発展し続ける東京の未来のために、過去をひもといてみよう

復興を重ね、急成長してきた東京
江戸から移り変わって140年以上、東京は国際都市として、また経済・文化の中心地として成長を続けています。その歴史を見ていくと、関東大震災、東京大空襲など、大きな悲劇を復興の力に変えて、発展してきたことがわかります。
都市化が着々と進んでいた大正時代、関東大震災の発生で東京は大打撃を受けます。しかし震災後の復興事業で都心部分の道路整備が進み、ほぼ現在の町に近い形をつくり上げたと言われています。また、第二次世界大戦期の大空襲で、東京の町は再び壊滅状態になります。それでも終戦後、都市の復興を進めながら、「高度経済成長期」と呼ばれる黄金時代に入っていきます。その発展の速さは、ほかの国際都市と比べても驚異的と言っていいでしょう。
暮らしの近代化は意外に遅かった?
この高度経済成長期には、首都高速道路が整備され、新幹線も開通し、そして東京オリンピックが開催され、「近代都市・東京」を世界に示す絶好の機会となりました。しかしその一方、住民たちにとって、当時の東京は快適な環境とは言い難かったようです。爆発的な人口増加もあったことから、時代の華々しさとは対照的に、例えば23区には下水道が未整備の地域も多く、ゴミ処理などの設備も不十分でした。よりよい暮らしのために、行政と住民が長年奮闘した結果、現在のような快適で便利な都市へと変わってきたのです。
今また、急変貌の時代に
21世紀に入る頃から、再び東京は、歴史の記録に残るような大変貌を遂げてきています。過去にはない勢いで再開発が進められ、高層ビルが多数建設されているのです。ただ、再開発の対象となって高層ビルが林立する地域がある一方で、防災上の再整備もままならない旧来の地域も存在します。将来的にはこうした格差が激しくなるかもしれません。
これまで東京は行政と住民の努力でさまざまな問題を解決してきました。今後起こりうる問題にどう取り組むか、過去の歴史からその手がかりを見つけることも重要です。
デモクラシーとファシズムの交錯した時代に生きた人たち

第一次大戦後に生まれたファシズム
第一次世界大戦後から1930年代にかけて、一部の資本主義国で、議会などのデモクラシー(民主主義)的な制度を制限し、国民の自由を抑圧する体制が生まれました。同時に、対外関係においては、「ヴェルサイユ・ワシントン体制」という国際協調の秩序を打ち破ろうとする動きが出てきました。ドイツ、イタリア、日本がそれで、こうした政治のあり方を「ファシズム」と呼んでいます。
「持たざる国」の危機感から、国家総動員体制へ
第一次世界大戦で戦勝国だったはずの日本が、ファシズムに傾倒した理由は何でしょう。まず、日本は英・米・フランスなどの列強と比べると資源や植民地が少なく、「持たざる国」であるという認識がありました。また、ロシア革命を経て強大国化するソ連も脅威でした。さらにこの時期、世界的な経済危機の影響で日本経済が悪化していました。こうした内外の状況を背景に、従来の政党政治を倒して軍部中心の政治を実現し、国外へ進出しようという動きが強まったのです。軍部は中国大陸への膨張を進め、国内では国家総動員体制がつくられていきました。
ファシズムを阻む側から協力者に
暗澹(あんたん)とした時代ではありましたが、日中戦争の開始前までは、こうした流れに歯止めをかけようという動きもありました。特に都市部において、軍国主義やファシズムの拡大を阻もうとする運動があったことが、最近の研究で明らかになっています。そこでは同時に、女性の地位向上や、格差社会の是正をめざす活動も見られました。
ところが、日中戦争が始まり、本格的に国家総動員体制が推し進められると、女性の地位向上や、格差社会の是正を主張した人々が一転して、むしろ積極的に戦争に協力するようになります。これらは、政府の厳しい弾圧による「転向」だとして説明されてきましたが、それは一面的な解釈に過ぎず、説明としては不十分です。デモクラシーの担い手たちがなぜ、積極的に戦争に協力していったのか、今後さらに議論を深めるべき課題だと言えるでしょう。
高校生・受験生の皆さんへのメッセージ
中学や高校で習う歴史では年号や人物の暗記が多いのですが、これは歴史の流れを理解する上でやむを得ないことです。しかし歴史像というのは、実は一つではなく、教科書に書かれた内容が新しい事実の発見などで変わる場合も少なくありません。過去に起こったことを、当時の人々が残した史料をもとに復元し、新しい歴史像をつくる、これが大学での歴史学の研究です。こうした方法を学ぶことは、現象面だけではわからない、物事の本質を探っていく力を身につけることにもつながります。
夢ナビ編集部監修