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「ことば」を切り口に「生きづらさ」の正体に迫る。人文社会学部松田教授が提案する、柔軟で自由な言語教育

東京都立大学 人文社会学部・人文科学研究科で日本語教育研究を行っている松田真希子教授。その研究は「日本語教育」を切り口に、社会のあり方や人の生き方を問い直しています。

松田研究室には、日本人のほか留学生も各国から集まっています。今回、松田教授に詳しい研究内容や、都立大で留学生が日本語教育を学ぶ意義について伺いました。

日本語教育は、アイデンティティを問い直す機会になる

——まず、松田先生のご専門を教えてください。

一言で言うと、「コンタクトゾーンのコミュニケーション研究」です。

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ある場所でマイノリティ(社会的少数者)とされた人が、いかにしてそこに自分の居場所をつくり上げていくか。また、その場所でマジョリティ(多数者・多数派)とされる人は、いかにしてマイノリティの人と共生していくか。そういう非対称な関係性、そしてそこでの交渉の場が際立ったゾーンのことを、「コンタクトゾーン」と呼びます。

例えば、マイノリティの人の言語使用はどうなっているのか。どんな暮らしをしているのか。その中で「生きづらさ」を感じているとしたら、どんなふうに感じているのか。もし幸せに暮らしているのなら、どうやってその状態に至ったのか。そんなことを、日本語を切り口に研究しています。

——日本語教育学と聞くと「日本語そのもの」の研究をしているイメージがあるのですが、松田先生は日本語を切り口として、幅広い分野の研究を行っているのですね。

私がこのキャリアをスタートしたときに取り組んでいたのは、まさに日本語そのものの研究でした。日本語は、固定的で動かないもの。だから共有可能な知識であるという前提で、どうしたら日本語を母国語としない学習者に適切に共有できるか。明文化されていない文法は何かといったことを研究していました。

もちろんそれらも明らかにすべき大事な分野ですが、言語を研究していく中で、「ことばはもっと柔らかいもの。ことばとは活動だ」と考えるようになって。日本語と外国語の境界線を溶かしていくといいますか、日本語というステレオタイプから日本語や日本語とつながる人を解放していくことこそ、日本語教育学の役割だと考えています。何もしなければ、規範が共有されていくものなので、むしろ問い直す研究が重要だと思っています。

それは、日本人だけでなく世界の人たちも同じです。現状、生まれてから死ぬまで一つの言葉しか使わない、という人はほとんどいません。どの国に生まれ育っても、方言なども含め、自分と自分の周りのつながりの中で、言語的文化的多様性に巻き込まれていきます。そして、このグローバル化した時代では、地球規模のスケールで、政治経済、歴史、文化などに巻き込まれていきます。

そのような時代においては、アイデンティティは固定的なものではなく、より一層複雑で動的なものとして構築されていくのですが、人によってはその複雑さから強い疎外感や孤立を感じることもあります。移動の時代に生きるあらゆる人々のための、自由で柔軟なアイデンティティ構築のあり方を日本語教育研究の立場から行い、世界に発信したいです。 特に興味があるのは、日本語によって生きづらさを感じている人の研究です。私は南米につながりがある日系人の語りを研究しているのですが、自分の日本語やふるまいを日本人に否定され、疎外感を感じたという体験をよく耳にします。

コンタクトゾーンは実は交渉と変革の場でもあります。一人一人が世界を批判的に見られるようになること、そして自分のことばのオーナーシップを取り戻し、自分のことばで他者と協働的に活動できるようになると、人はもっと自由になれると思います。

——松田先生の考える日本語教育学は、社会学や心理学といった学問と関連しているように思いました。日本語教育学と、ほかの学問との違いは何だと考えますか。

言語教育学とほかの学問との大きな違いは、「プラクティス( ※1)」だと考えます。社会学や心理学は、社会や人の行動を分析することが多いと思います。一方で、言語教育学は当該言語を使う当事者や教育支援者と一緒に考え、悩み、柔軟に変容しながらつくっていく実践的な学問。相対的に見ると、実践研究の要素が強いかもしれません。

当事者と一緒に学問の最前線をつくっていくのは、この学問ならではの面白さだと思います。

※1 プラクティスは分野によって色々な意味で使われますが、ここでは「社会の変革をもたらす活動」という意味。

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——松田先生ご自身の研究は、科学研究費助成事業「基盤研究(A)」に採択されたと聞きました。「世界で注目される日本語研究」とはどのようなものなのでしょうか?

インターネットやSNSの発達した今、異なる言語や文化を持つ人たちの間で効率よく情報交換をしようとした結果「世界共通のフォーマット」がどんどん生まれています。生産性やスケーラビリティ(※2)を考えると、効率の良いやり方なのでしょう。一方で、ローカルな言語、文化、価値観を保ったまま生きていくのは難しい時代になっています。

では、いろんな国や地域の人たちが、固有の価値観を保ったまま混ざり合っていくにはどうしたらいいのか。淡水と海水がうまく混じり合い、時に独自の生態系も発生する「汽水域」のように、あらゆる言語的多様性、文化的多様性を保持した社会を“ありうるもの”として提案していく。それが、「基盤研究(A)」に採択された私の研究、「移動基盤社会デザインに寄与する繋生語ネットワークの国際共同研究」です。

※2 スケーラビリティとは人類学者アナ・チンが用いた用語で、規格性を指す。ヨーロッパ諸国の植民地におけるプランテーションなどの科学的な管理が代表的な例。

現状でも「汽水域」ができている地域は存在し、私が確認しているのは、南米とオーストラリア。面白いのが、どちらも「南」なんですよね。南は、先住民の世界観が尊重され、かつ自然の影響力が強く人間中心の世界観が「北」に比べると弱いように思います。そのため、自然や人間以外の生き物はもちろん、多種多様な言語や文化を持った人間も含めて、「みんなでうまく共生していこう」という意識が強くなりやすいのでは、と考えています。

特にボリビアは、沖縄県出身の移民が数多く住む地域、オキナワ移住地がある国です。この地域では、ボリビアの現地の人と沖縄移住者が互いのアイデンティティを保持したまま共生しており、それがなぜ可能となったのかを突き止めようと試みています。

ボリビアの例をはじめ、南米、そして海外に暮らす「日系」人のあり方は、生きづらさを抱える人が多い現状を変えるヒントになるはず。トランスランゲージングやモア・ザン・ヒューマンといった既存の研究をベースにしながら、南米を軸にプラクティスの追求を進めているのが、私の研究の特徴です。

異なる文化や価値観を「混ざり合わせる」。松田先生の研究室に世界各国から学生が集まる理由

——松田先生の研究室には、現在何名の学生が所属しているのですか?

学部生が3名、博士前期課程が1名、博士後期課程が2名います。博士後期課程の2名は、タイとシリアからの留学生です。ほかにも、台湾、ブラジル、ベトナム、中国の留学生の指導もしています。

——多くの国からの留学生が在籍しているのですね。留学生は、どんな研究をしているのでしょうか。

人それぞれではあるのですが、先ほどお話した「プラクティス」自体を研究する人は多いですね。

日本で生まれて育つタイルーツの子どもの、複数言語の教育の実践研究をしている学生がいます。同化・同調圧力が強めの日本に生まれ育つと、なかなか母語を学びにくい状況に置かれがちです。その中でどのようにタイのアイデンティティを継承するのか、ということを研究しています。
また、「君」と「あなた」の違いを研究している日本人学生もいます。誰かを呼び止めるとき、「おーい、そこの君」とは言うけど、「おーい、そこのあなた」とは言わないのはどうしてだろう、とか。

日本人と留学生が混ざり合って研究活動をする中で、日本語の微妙な差異に気づきやすくなるのだと思います。

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言語教育そのものをやりたいという方もいれば、マイノリティや多様性に興味がある方もいる。研究をしているうちに、興味のある分野が変わってくる方ももちろんいます。「留学生はこうでなきゃいけない」「これを学ばなければいけない」というのは特にないので、まずは日本に来て、滞在して、多くの人たちとの触れ合いを楽しんでほしいですね。

私も学生時代にアメリカとインドに留学しましたが、その経験が「自分の中のひっかかり」となって、今も活きています。

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都立大には、日本語を通じて自分を見つめられる環境がある

——東京に留学する意義をどう考えますか?

私は、東京をドラえもんの「どこでもドア」が集まったような場所だと考えています。東京は、様々な国や地域から、多様な物語を持つ人が集まっている場所ですよね。また、東京を起点とした駅はたくさんありますし、国内外に通じる空港もあります。東京にいるだけで日本国内のいろいろなローカルを感じることができるし、東京ならではのローカルも魅力です。

「日本」と一言で言っても、いろんな地域があって、それぞれに文化や歴史があります。だから、どんな地域にもアクセスできる「どこでもドア」の東京は、留学生にとって良いベースキャンプだと考えます。

——では最後に、多くの大学がある東京の中でも、都立大に留学する良さを教えていただけますか。

良さはたくさんあるのですが、あえて一つ取り上げるなら「リベラル」なところですかね。都立大には、様々な分野で、柔軟で面白い研究をしている方が大勢います。

もちろん、日本語教育もそうです。大学内には私以外にも日本語教育専攻の先生が何人もいますが、「日本語教育とはこうです」という先生は見かけません。言葉も教育も多様で動的で自由なもので、社会を変え、平和につながる力を持っていると信じている先生もいらっしゃいます。

そのように社会やことばのありようを批判的にみつめ、よりよい社会を構築する言語教育研究に興味がある方には、都立大をぜひおすすめしたいです。都立大での学びは、日本語の新しい魅力に気づくだけでなく、自分自身を問い直すきっかけにもなるはずですよ。

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