- バイカル湖の湖底堆積物の花粉と、周辺地域の遺跡の年代データを比較しました。
- 氷期の最中の約 4.5~4.0 万年前の温暖化が森林ステップを拡大させ、ほぼ同時に現生人類を拡散させました。
- 森林ステップの拡大がアジア北ルートの人類拡散の要因であることを解明しました。
- 気候変動に対する人類の適応を示す重要な成果といえます。
概要
国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所、カンザス大学、東京都立大学、金沢大学の国際研究グループは、アフリカからアジアの北ルートを通じてバイカル地域へ現生人類が拡散した時期と要因を明らかにしました。バイカル湖の湖底堆積物に含まれる花粉と、周辺地域の遺跡から発掘した炭化物や骨片の年代データを比較しました。その結果、この地域では約4.5~4.0万年前の温暖化で森林ステップ*1が拡大したこと、ほぼ同じ時期に現生人類出現の証拠が多くなることを突き止めました。これは、バイカル地域での森林ステップとそれに伴う食糧となる多様な動物の拡大が、現生人類の拡散と定着の重要な要因となったことを示しています。この成果は温暖化などの気候変動に対する人類の適応を示す具体的で重要な知見であり、さらに日本へと続くアジア北ルートでの人類拡散を考える上で役立つものといえます。本研究成果は、2023年9月22日にScience Advances誌でオンライン公開されました。
背景
アフリカからアジアに向かう現生人類の拡散については、約 5 万年前の氷期といわれる時代にアジアの北ルートと南ルートに別れたとされています。シベリアのバイカル地域はその頃の遺跡が多数確認され、地中海地域からアルタイ山脈を経て続く北ルートでの拡散途上の重要な地域となっています(図 1)。遺跡から出土した石器、骨角器、ペンダントなどの遺物*2 の特徴から、これらの遺跡は上部旧石器時代初期*3 に区分され、その年代は約 4.5 万年前に遡ることが分かっています。しかし、西アジアからバイカル地域への拡散過程の詳細や、寒冷で乾燥したこの地域の環境になぜ人類が定着できたのかは、明らかではありませんでした。
図 1 ユーラシアにおける上部旧石器時代のアジア北ルートの人類拡散
内容
バイカル地域における現生人類の拡散とその要因を明らかにするために 2 つの分析を行い、総合的に考察しました。まず、氷期(寒冷期)の 5~2 万年前を対象に、バイカル地域の遺跡から出土した炭化物や骨片など合計 282 試料の放射性炭素年代測定値*4 を分し、1000 年ごとの人類の活動状況の変化を調べました。次に、バイカル湖の湖底堆積物に含まれる花粉分析を行い、時代ごとの植生の変化を調べました。その結果、現生人類の居住強度が約 4.4~4.0 万年前に急増したことから、現生人類は上部旧石器時代初期の約 4 千年間に渡ってこの地域に居住し、バイカル地域における初期の人類拡散および定着が起きていたことが分かりました(図 2)。同時に、この時期には氷期のそれ以外の時代に比べて、マツやトウヒなどの針葉樹に加えイネ科などの草本類の花粉が多く出現しました。このことから、氷期においても、4.5~4.0 万年前には温暖で湿潤な時代が5 千年間続き、森林ステップ植生が拡大していたことが分かりました。これは地球規模で生じた急激な気候変動*5 の影響と考えられます。バイカル地域での温暖化に伴う寒冷砂漠から森林ステップ植生の拡大により生じた多様な動物の増加は、現生人類に十分な食料をもたらし、それが人類の拡散と定着の要因となったと推測されます。
図 2 バイカル湖湖底堆積物中の針葉樹花粉の割合の変化(左)、バイカル地域の居住強度(中央)、自転軸の傾き(右)の対比
左図は約 4.5~4.0 万年前に針葉樹の花粉が増加したことを示しており、主にマツ属やトウヒ属が多く出現しました。また、草本類のイネ科などの花粉も多く出現したことと合わせて、バイカル地域ではこの時代に森林ステップ植生が拡大したと判断できます。中央の図は、バイカル地域の遺跡から出土した遺物から得られた年代値を確率分布として太線で表しています。約 4.4 万年前以降、4.0 万年前にかけて顕著に増加し、この地域に現生人類が居住し始めた証拠を示しています。右図は自転軸の傾き*6 の変化を示していますが、北半球の高緯度地域ではこの傾きが大きい時期に、急激な温暖化が生じた場合において、森林植生の拡大が生じやすくなるとされているため、4.5万年前から始まる森林ステップ植生が拡大した理由はこのことで説明できます。バイカル地域の人類拡散は、自転軸の傾きの変化が間接的に影響したといえます。
今後の展開
本研究は温暖化などの気候変動に対する人類の適応を考える上で重要な成果です。さらに、アジア北ルート上のバイカル地域での拡散要因が本研究で分かりました。しかし、アジア北ルートは日本列島に約 3.8 万年前に人類が拡散したルートの一つと考えられているにも関わらず、日本に出現した現生人類の遺物などの考古学的な証拠は、バイカル地域と共通する点が少なく、両地域を結びつける説明はできません。日本へのもう一つの拡散ルートと想定される中国や東南アジア地域でも同様に、上部旧石器時代の正確な年代決定と植生および気候に関する知見を積み重ねることで、人類が日本列島へ出現し定着する要因を、より正確に知ることができると考えます。
論文
論文名 Climate amelioration, abrupt vegetation recovery, and the dispersal of Homo sapiensin Baikal Siberia
著者名 SHICHI Koji(志知幸治)、GOEBEL Ted(カンザス大学)、IZUHO Masami(出穂雅実・東京都立大学)、KASHIWAYA Kenji(柏谷健二・金沢大学)
掲載誌 Science Advances
DOI 10.1126/sciadv.adi0189
研究費 文部科学省科学研究費補助金
「湖沼堆積物を用いた最終氷期以降の永久凍土変動の復元と陸域環境への影響評価」
「パレオアジア文化史学―アジア新人文化形成プロセスの総合的研究」
「モンゴルにおける最初期ホモサピエンスの適応的・行動的多様性の形成」
「日本列島域における先史人類史の統合生物考古学的研究―令和の考古学改新―」
共同研究機関
森林総合研究所、カンザス大学、東京都立大学、金沢大学
用語解説
*1 森林ステップ
温帯域で見られる草原の中に森林が散在する景観を持つ植生のこと。
*2 遺物
遺跡から発見された過去の人類の道具や生活の残滓(ざんし)のこと。
*3 上部旧石器時代初期(Initial Upper Paleolithic、IUP)
人類が主に打製石器を使用して狩猟採集を行っていた時代は旧石器時代、土器の出現や農耕の開始以降は新石器時代と区分される。上部旧石器時代とは、旧石器時代のうち最も新しい時代を指し、ユーラシア大陸では現生人類が出現した約 5 万年前から農耕が始まる約 1 万年前までを指す。
上部旧石器時代のうち、特に 5~4 万年前の時期のことを上部旧石器時代初期という。
*4 放射性炭素年代測定
放射性同位体の一つである質量数 14 の炭素が、放射性壊変により約 5730 年で半分に減少する性質を利用して有機物を含む物質の年代を明らかにする測定法のこと。
*5 急激な気候変動
ダンスガード・オシュガーサイクルといわれる最終氷期(約 10~1 万年前)に起きた急激な温暖化と寒冷化の繰り返しのこと。4.5~4.0 万年前もいくつかのサイクルがあったことが花粉分析結果から読み取れるが、この期間を通じて針葉樹花粉が多く産出することからバイカル地域では総じて温暖であったと考えられる。
*6 自転軸の傾き
地球が公転している軸に鉛直な軸に対して、北極と南極を結ぶ自転する軸が傾いていることをいい、地軸の傾きともいう。現在では 23.4°傾いており、これが 22.1~24.5°の範囲で約 4.1 万年の周期で変動したことが明らかになっている。自転軸の傾きが変化することにより、地表に届く日射量の季節変化をもたらすため、植物の生育に大きな影響を与えると考えられている。
お問い合わせ先
【研究に関するお問い合わせ】
森林総合研究所 四国支所 森林生態系変動研究グループ
主任研究員 志知幸治
Tel:088-802-8921 E-mail:shichi@ffpri.affrc.go.jp
東京都立大学人文科学研究科
准教授 出穂雅実
Tel:042-677-2121 E-mail:izuhom@tmu.ac.jp
金沢大学 名誉教授/連携研究員(環日本海域環境研究センタ-)
柏谷健二
Tel:076-234-6957 E-mail:kashiwaya@staff.kanazawa-u.ac.jp
【報道に関するお問い合わせ】
森林総合研究所 企画部広報普及科広報係
Tel:029-829-8372 E-mail:kouho@ffpri.affrc.go.jp
東京都公立大学法人 東京都立大学管理部 企画広報課 広報係
Tel:042-677-1806 E-mail:info@jmj.tmu.ac.jp
金沢大学理工系事務部総務課総務係
Tel:076-234-6957 E-mail:s-somu@adm.kanazawa-u.ac.jp
本資料は、農政クラブ、農林記者会、林政記者クラブ、筑波研究学園都市記者会、文部科学記者会、科学記者会、石川県文教記者クラブ、日刊工業新聞金沢支局、日経科学技術部に配付しています。
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