1.概要
生き物が柔軟に環境に適応するためには外界のシグナルを適切に細胞内に伝達し、環境適応に必要な遺伝子を活性化させることが重要である。遺伝子の活性化は、転写因子が遺伝子の結合箇所へ結合することが契機となって引き起こされる。しかし、転写因子が膨大なゲノム配列からどのようにして結合箇所を発見し、遺伝子を活性化させるのか未解明であった。今回、2つの異なる細胞シグナル伝達経路により支配される転写因子2種が、近接して位置する結合箇所に結合することで相互に安定化し遺伝子を活性化することを、東京都公立大学法人東京都立大学(大橋隆哉学長)理学研究科の廣田耕志教授らが、世界で初めて明らかにした。
2.発見の背景
ゲノムDNAには、膨大なACGTの塩基配列情報注1)(ヒトでは30億文字)があり、その中からどのようにして転写因子が結合箇所を見つけるのか未解明であった。DNAはヒストンと呼ばれるたんぱく質に巻きついてヌクレオソーム注2)を形成して核内に収められている(図1)。このヌクレオソームは状況により変化し、ヒストンたんぱく質が外れてDNAがむき出した状態(開いたクロマチン構造)と、きちんとヒストンたんぱく質とDNAが結合した状態(閉じたクロマチン構造)を取ることができ、ゲノムDNAの様々な領域ごとに柔軟に制御されている(図1)。閉じたクロマチン構造の領域のDNAには転写因子は接近できず結合が阻害されるため、転写因子の結合部位の決定にはクロマチン構造の制御が関わっていることが知られている(図1)。廣田耕志教授は、分裂酵母をモデル生物に用いてグルコース飢餓ストレス注3)によって転写活性化するfbp1遺伝子のクロマチン制御機構や転写因子の結合に関する解析を行っている。これまでの研究で、fbp1遺伝子の活性化にはグルコース飢餓ストレスの情報を細胞内にシグナル伝達する経路であるマップキナーゼ(MAPK)経路とプロテインキナーゼA(PKA)経路によりそれぞれ制御されている転写因子のAtf1 とRst2が、fbp1遺伝子の上流部位の近接した箇所に結合することを見出していた(図2)。しかし、これらが近接して結合している意義や結合の仕組みは未解明のままであった。
3.発見の詳細
今回、東京都立大学理学研究科の幸田和佳奈大学院生(博士前期2年生(2020年度修了))と千松賢史大学院生(博士後期3年生)は廣田耕志教授の指導のもと、Atf1とRst2のfbp1遺伝子上流への結合の仕組みについて詳細に解析を行った。これらの結合部位のクロマチン構造は飢餓ストレスによって開いたクロマチン構造に変化するが、MAPK経路とPKA経路のいずれかのシグナルが不良となると、閉じたクロマチン構造のままとなった。このことから、2つの経路の両方が同時に活性化することがクロマチンを開く際に必要であることがわかった。Atf1とRst2の結合箇所はACTGの文字数で45文字分しか離れておらず、近接して存在する。この結合箇所において300文字分他のDNA配列を挿入して距離を離すと、Atf1とRst2が同時に結合できなくなるとともに、この領域のクロマチン構造が飢餓ストレスに応答して開かなくなり、閉じたままの状態になった。このことは2つの転写因子が近接した位置で活性化していることで、互いの結合を安定化させるとともに、開いたクロマチン構造を維持させていることを意味している(図3)。
これらの結果から、転写因子の結合配列が近接して存在することで相互に結合を安定化させ、開いたクロマチン構造を維持させており、そのような転写因子の結合領域はゲノム上でシグナル伝達経路を統合する「ハブ」として機能していることがわかった。外界の環境変動へ適応するために複数のシグナル経路が複雑に相互作用しながら精密に遺伝子を制御するための生命において重要な機構の一端を明らかにした。
4.意義と波及効果
今回の研究では、今まで未知であった「膨大なゲノム配列から転写因子がどのように結合箇所を見つけるのか」という根源的な謎の一端を解明した。また、近接した転写因子結合箇所を含むゲノム配列が、シグナル経路を統合させるための「ハブ」として機能できることを見出した。転写異常はガンをはじめとする様々な疾患とも関連することから、本研究で明らかにした転写因子結合の新規のメカニズムは、さまざまな疾患の背後にある原理の理解や治療法の開発につながる重要な発見である。
【論文情報】
タイトル:Reciprocal stabilization of transcription factor binding integrates two signaling pathways to regulate fission yeast fbp1 transcription
著者:Wakana Koda (共筆頭著者), Satoshi Senmatsu (共筆頭著者), Takuya Abe, Charles S. Hoffman, and Kouji Hirota
DOI: 10.1093/nar/gkab758
9月6日付け(日本時間)のNucleic acids Researchオンライン版で発表
【用語解説】
注1:ACGTの塩基配列情報
まず、「DNA」、「遺伝子」、「ゲノム」という言葉の意味や違いについて解説する。DNAはデオキシリボ核酸という化学物質名の略称であり、「塩基」、「糖」、「リン酸」から出来ているヌクレオチドが重合したポリマーである。塩基には、ACGTの4種類があるため、4種の塩基をもつヌクレオチドが重合したDNAにはACGTの配列順序の情報を格納できる。この4種の文字情報で体を構成するタンパク質の設計図を書くことができる。タンパク質は20種のアミノ酸が重合して作られており、その順序や数によって、作られるタンパク質の性質や機能・形が決定するため、とても重要である。細胞でタンパク質が作られる時、DNAに書かれたACGTの文字情報によってこのアミノ酸配列が決定される。このアミノ酸の配列情報を規定するDNAのACGTの部分を遺伝子という。ゲノムは、ある生き物が持つACGTの文字情報全てのことで、ヒトでは30億文字もの文字数がある。しかし、その中で遺伝子として使われているのはわずか数%しかなく、ゲノムの多くの部分はタンパク質をコードしていない非コード領域である。
注2:ヌクレオソーム
ヒトの場合1細胞にあるゲノムDNAは1本につなぎ合わせると2メートルにもなる。このような長大な分子が10 μmほどの小さな核に収められているのは、ヌクレオソームを基本構造としたクロマチン構造のおかげである。DNAは、円盤状のまるで糸巻きのように働くヒストンと呼ばれるタンパク質に巻きついて、ヌクレオソームを形成する。このヌクレオソームが集まって凝集し、クロマチン構造を形成する。このようにヌクレオソームはDNAを小さな核に納める上で大切な働きをしている。最近、このヌクレオソームはDNAの「格納」以外にも、遺伝子の働きの調節にも寄与していることがわかってきた。遺伝子が働く際に、ヌクレオソームが一度ほどけて裸のDNAになることで、DNAにいろいろな酵素がアクセスできるようになる。逆に、遺伝子を働かせないようにする際には、きつくヌクレオソームが巻くことで、その領域にある遺伝子に酵素を接近させなくして、遺伝子が働けない状況にする。このように、ヌクレオソームには遺伝子の働きを調節する機能もある。
注3:グルコース飢餓ストレス
グルコースとは糖の一種で細胞に取り込まれてエネルギーの源となる分子である。このグルコースが細胞内部に少なくなる状態をグルコース飢餓という。酵母菌の場合は、培地中のグルコース濃度(通常1〜6%程度)が欠乏して0.1%以下になるとグルコース飢餓に陥り、ヒトの場合は血中グルコース濃度の低下によって引き起こされる。また、糖尿病では血中グルコース濃度が高くてもインスリンが十分に機能しないため、細胞が血液中のグルコースを取り込めず、細胞レベルではグルコース飢餓の状態となる。過度のダイエットと糖尿病が細胞レベルで見ると似た状態になるのはこのためである。細胞がグルコース飢餓ストレスを感じると、自分自身でグルコースを合成するために代謝経路を変更し、細胞内の代謝物を利用してグルコースを新規合成しようとする(糖新生)。fbp1遺伝子はフルクトース1,6ビスフォスファターゼという糖新生に関わる酵素をコードする遺伝子で、ヒトから酵母にまで進化的に保存された遺伝子である。