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【研究発表】平面状の細胞シートが立体的に!細胞が自分の力でシートを3次元化 ― 臓器表面にフィットする移植治療用細胞シートへの応用に期待 ―

発表のポイント
  • イオンビーム加工技術を駆使し、細胞が接着面を引っ張るごく小さな力で容易に変形する「フレキシブル細胞培養薄膜」を開発
  • 細胞を薄膜表層に接着させ、細胞の移動によって表層を引っ張り基板から剥離させて、ヒダや突起のような3次元(3D)構造を持った『3D細胞シート』を作らせることに成功
  • 胃や腸のように凹凸がある臓器表面にフィットする移植治療用細胞シートへの応用に期待

 
 国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 平野俊夫)量子ビーム科学部門高崎量子応用研究所の大山智子主幹研究員、大山廣太郎主幹研究員、田口光正プロジェクトリーダーと東京都立大学(学長 大橋隆哉)の三好洋美准教授は、イオンビーム加工技術を使い、細胞が接着面を引っ張るごく小さな力(牽引力)でも変形するような「フレキシブル細胞培養薄膜」を開発し、細胞がしっかりと力を発揮できるよう接着性を高め、さらに細胞が自ら薄膜を基板から剥離して立体的に変形できるように薄膜の厚さやパターンを調整することで、ヒダや突起状の構造を持った、『3D細胞シート』を作り出すことに成功しました。
 私たちの体の中で見られるヒダや突起などの立体的な構造(3D構造)は、臓器や器官がそれぞれの機能を果たすために最も適したものです。こうした3D構造を細胞がどのように形作るのか、体の中から取り出した細胞を培養して調べたいのですが、従来から用いられている硬いプラスチック皿上で培養しても、細胞は平面状に広がるだけで、3D構造を作らせることはできません。
 細胞は、ごく小さな力ですが、活動するときに接着面を引っ張ることが分かっています。私たちはこの牽引力に注目し、柔らかな布を摘まむと皺ができるのと同じことを細胞にやらせてみようと思いつきました。そこで、細胞が活動するときのごく小さな力で変形させられるフレキシブルな細胞培養用の薄膜を開発し、その上で培養することで、細胞に薄膜を掴ませて、ヒダや突起を形成させることを目指しました。
 このアイデアを実現したのが、イオンビーム1)を活用した加工技術です。イオンビームが引き起こす化学反応の種類と場所を精密に制御することで、生体適合性2)と生分解性3)を兼ね備えたポリ乳酸4)に、細胞培養中にごく小さな力が加わるだけで表面が薄膜として剥離する仕掛けを作り出しました。この仕掛けは、細胞がしっかりと牽引力を発揮できるように接着性を高めた表層と、培養中に培養液に溶解する下層、表層と下層の土台となる基板からできています。この表層を細胞のごく小さな力で変形できる厚みに調整すると、1つ1つの細胞が表層を引っ張り、周囲に皺を寄せながら移動する様子が見られました。さらに、細胞の活動で薄膜が剥離しやすくなるよう、表層にパターニング(切り取り線を作る)を施したところ、細胞集団はパターンの端、つまり切り取り線から薄膜を剥がし始め、立体的に変形していくことが分かりました。この現象を利用して、パターンの形や大きさを調整した結果、わずか2-3日で、肉眼でも見えるような巨大なヒダや突起を持つ3D細胞シートを作らせることに成功しました。

 1つの細胞が出せる力はごく小さいものですが、柔らかな体の中では、細胞は互いに協力し合って周囲の環境を整え、自ら立体的な構造を作り上げている可能性があります。
 細胞のごく小さな力を活かして3D細胞シートを作り出すことができるフレキシブル細胞培養薄膜は、細胞の本来の姿や機能を解き明かす重要なツールになると考えられます。そして、未だ謎が多い生体の複雑な形成の謎に迫るだけでなく、胃や腸など凹凸のある臓器表面にもフィットする移植治療用細胞シートへの応用など、新たな治療技術の開発に貢献できると期待しています。
 本成果は、令和3年7月14日(水)20:00(日本時間)に、新発想の材料工学と実用的なアプリケーションを報告する学術誌「Materials & Design」に掲載されます。
 なお、本研究の一部は、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 ACT-X(研究者:大山智子、JPMJAX2014)の支援を受け行ったものです。


補足説明資料
【研究の背景】

 私たちの脳・食道・胃・腸など多くの臓器表面には、ヒダや突起などの立体的な構造(3D構造)が数多く見られます。脳がヒダによって表面積を増やして大量の情報処理を可能にしたり、腸が突起やヒダによって効率よく栄養を吸収したりすることが知られているように、これらの3D構造は臓器が正常に機能する上で最適な形をとっています。もし胎児期にうまくヒダや突起が形成されないと滑脳症5)のような先天性異常が生じ、有効な治療法がありません。また、炎症によってヒダや突起が失われる潰瘍性大腸炎6)などは、長期の治療が必要となる難病です。
 臓器表面の上皮細胞にヒダや突起を作らせることができれば、失われた構造を回復させ臓器の機能を回復できるのではないかと期待されますが、そもそも、複雑かつ精密な3D構造がどのようにして形作られるのか、詳細は未だ分かっていません。体の中から取り出した細胞を従来から用いられている硬いプラスチック皿上で培養しても、細胞は平面状に広がるだけで、ヒダや突起を形成することはないからです。
 直径わずか0.02mmほどの細胞は、ごく小さな力ですが、活動するときに接着面を引っ張ることがわかっています。私たちはこの牽引力に注目し、柔らかな布を摘まむと皺ができるのと同じことを細胞にやらせてみようと考えました。そこで、細胞が活動するときのごく小さな力で変形させられるフレキシブルな細胞培養用の薄膜を開発し、その上で培養することで、細胞に薄膜を掴ませて、ヒダや突起を形成させることを目指しました(図1)。

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【研究の成果】

 このアイデアを実現するためには、細胞のごく小さな牽引力でも変形できる、高い柔軟性を持った特殊な材料が必要です。一方で、培養を始める前にくしゃくしゃに折れ曲がったり破れたりしては使い物になりません。そこで本研究では、細胞培養が始まってから、つまり37℃の液中においてごく小さな力が加わると表面が薄膜として剥離する仕掛けを考えました。
 活用したのは量子ビームの一種であるイオンビーム1)です。材料には、生体適合性2)と生分解性3)を兼ね備えたポリ乳酸4)を選択しました。イオンビームには材料中の分子を切断したり、“架橋”といって分子同士をつないだりする作用があります。ポリ乳酸は通常の照射では切断される確率が圧倒的に高いのですが、過剰に照射すると逆に架橋が進行し、徐々に炭化していきます。つまり、照射によって与えられるエネルギーの密度によって、ポリ乳酸の中で起こる化学反応が異なるのです。本研究ではこの知見に基づき、イオンビームのもたらすエネルギーの粗密を調整して分解と架橋・炭化の起こる場所を精密に制御し、ポリ乳酸の表面からごく浅い領域に、架橋・炭化された表層と分解された下層から成る2層構造を、一度の照射によって作り出すことに成功しました(図2)。
 架橋・炭化された表層は、ヒドロキシル基(-OH)やC=Cなどの新たな化学結合ができることで、細胞の接着性が大幅に向上します。これにより、この表層に接着した細胞は、しっかり牽引力を発揮することができるのです。一方、分解された下層はガラス転移温度7)や融点8)が低下するので、温水中で容易に軟化し、やがて溶解します。この2層構造は室温・大気中で保管している間は安定ですが、培養環境(37℃の液中)でこするなどして力を加えると、表層が照射パターンの端、つまり設定した切り取り線に沿って薄膜として剥離することが分かりました(図2)。

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 さらに本研究では、イオンビームの到達距離を調整することで2層構造の厚みを制御し、細胞が出すごく小さな力でも変形することができる表層の厚さを探りました。その結果、ポリ乳酸表面から180 nmほど侵入する50 keVの窒素イオンを用いて上記の2層構造を作製した場合、上皮細胞の1つ1つが表層を引っ張り、周囲に皺を寄せながら移動する様子が見られました。(図3)。まさに、机の上に置いたハンカチを摘まんだ時と同じ現象です。そしてハンカチを両手で引っ張ると間に皺ができるように、細胞の牽引力や動きを反映して形成される薄膜の皺は、個々の細胞の間に橋を架けるようにつながっていきました。皺は、0.6 mm(細胞30個分)も遠く離れた細胞同士の間にも形成され(図3)、面白いことに、細胞は皺を通じてお互いの位置を教え合ったかのように、皺に沿って最短距離でお互いの場所を行き来しました。細胞には接着面の凹凸に沿って進む傾向があるためだと考えられますが、もしかしたら、柔らかな体の中でもこうした効率的な細胞の移動が行われているのかもしれません。

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 さらに本研究では、細胞の活動で薄膜が剥離しやすくなるよう、表層にパターニング(切り取り線を作る)を施しました。すると細胞集団は、パターンの端、つまり切り取り線から表層を剥がし始め、立体的に変形していきました。図4に、細胞が長細くパターニングされた薄膜を48時間かけて寄せ集めていく様子を示します。

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 細胞は集団で薄膜を剥離・変形し、わずか2-3日の間に、設定したパターンに応じて肉眼でも見えるような巨大な3D構造を形成しました。図5に示すのは、1cmに近い巨大な構造体です。とても顕微鏡写真には納まり切らず、何枚にも分けて写真を撮り、画像をつなぎ合わせています。その断面を観察すると、細胞が薄膜をくしゃくしゃに丸め包み込むようにして、ヒダを形成していることがよく分かります。長細いパターンからはヒダを、丸いパターンからは突起を形成することができました。
 従来培養に用いられてきた硬いプラスチック皿の上では、細胞が3D構造を作ることはありませんでした。本成果は、細胞がしっかりと接着し牽引力を発揮できる環境、そして細胞の小さな力でフレキシブルに形を変えられる環境が、ヒダや突起といった3D構造を形成する上で重要な役割を果たしていることを示唆するものです。柔らかな体の中では、細胞は互いに協力し合って周囲の環境を整え、自ら立体的な構造を作り上げている可能性があります。

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【今後の展開】

 細胞のごく小さな力を活かして3D細胞シートを作り出すことができるフレキシブル細胞培養薄膜は、未だ謎が多い細胞の本来の姿や機能、生体の複雑な形成の謎を解き明かす1つのツールになると考えられます。そして3D細胞シートは、生命科学のみならず医療分野への貢献が強く期待されるものです。現在、より精密かつ再現よく3D細胞シートを作るための技術開発に加え、実際に生体内に存在する物質を精密加工し、生体内環境を再現する研究も同時並行で進めています。より生体に近い物質で、より臓器のヒダや突起に似た3D細胞シートを作ることができれば、病気のメカニズムや薬効を正確に評価できる生体モデルとして活用できるでしょう。さらに、患者の体の中で欠損部位を代替したり、疾患部位を治療したりする移植治療への貢献も見込まれます。平面状の細胞シートは既に臨床研究が進んでいますが、凹凸の大きい臓器にもフィットする3D細胞シートによって、治療可能な臓器や治療範囲が大きく広がるのではないかと期待しています。

【用語解説】

1)  イオンビーム
  加速器により高速に加速されたイオンのこと
2)  生体適合性
  体に害を与えず、よく馴染む性質
3)  生分解性
  体の中で分解される性質
4)  ポリ乳酸
  植物から取り出したデンプンを発酵して得られる乳酸から作られる、透明性や剛性の高い高分子材料。治癒後に体内で分解・吸収される縫合糸やインプラントなど、医用材料として使用されている。
5)  滑脳症(かつのうしょう)
  生まれつき脳の表面が平滑で、ヒダが見られない病気。知的障害や運動障害、てんかん発作などを起こす指定難病。
6)  潰瘍性大腸炎
  大腸の粘膜に炎症が起き、継続的な腹痛、下痢や下血などを引き起こす指定難病。国内の患者数は約18万人であり、年々増加している。
7)  ガラス転移温度
  高分子材料中の分子が動きやすくなり、軟化し始める境目の温度。
8)  融点
  固体が溶け始め、液体になる時の温度。

【論文情報】

3D cell sheets formed via cell-driven buckling-delamination of patterned thin films
Tomoko Gowa Oyama1,*, Kotaro Oyama1,*, Hiromi Miyoshi2, and Mitsumasa Taguchi1
1: 量研 量子ビーム科学部門 高崎量子応用研究所 先端機能材料研究部
2: 東京都立大学 システムデザイン学部 機械システム工学科
*: 共同筆頭著者

システムデザイン学部 機械システム工学科 三好 洋美(ミヨシ ヒロミ) 准教授 別ウィンドウ

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