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健康福祉学部 看護学科
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看護の現場で起きていることを、哲学の視点で見直してみる

実践の場面をありのままに観察
医療現場において、看護師はつねに複数で複雑に連携しながら仕事をしています。専門用語でそれを「協働実践」と言いますが、看護学では、フィールドワークという方法で実際の病院に入り、看護師たちの「協働」がどのように成り立っているのかを調査する研究があります。例えば入院中の患者の中には、トイレに行く際に看護師の介助が必要な人がいます。通常はナースコールで看護師を呼ぶので、ブザーが鳴れば担当看護師が病室へ向かいます。ところが現場では、看護師が、ブザーが鳴っていないのに病室に赴き、患者に「どうかしましたか?」と異状の有無を確認する、というようなことが起こります。看護師は、通りがかりに病室をのぞいた際、カーテン越しになんとなく患者が動いている気配を感じ、コールがないのは変だと気づいたというのです。ベルが鳴れば誰でも反応しますが、この場合、鳴らないことに反応したというわけです。
「私」ではなく「私たち」が動く
興味深いのは、それが患者を直接担当する看護師ではなく、同じチームで働くリーダー看護師だったことです。各患者の情報は、担当看護師の間で共有されるだけでなく、リーダーにも逐一報告されるため、リーダーは特に病棟全体の動きを見通しています。こうした看護師間の情報の交換や引き継ぎは、患者の小さな異変に気づくきっかけにもなります。それは病棟全体で共有される情報、あるいは感覚で、看護師は、一人で患者と相対しているときでも常に「今この経験をほかの看護師たちとも共有している」という意識をもっています。
哲学的視点が現場の意識を変える
このように看護の現場で起きていることを調査し、理解し直す試みは、「現象学」という哲学分野の手法でもあります。自分たちがどう動いているかを改めて知ることができると、それを手がかりに、現場の見え方が変わっていきます。哲学の視点が、看護師たちの現場の理解をさらに深め、よりよい実践へとつなげていくのです。
看護と哲学をつなぐことで、看護現場が変わる

既成概念を取り払って物事をとらえる
看護学と哲学とは、学問上、かけ離れた存在のように思えます。ところが、看護師たちの医療現場での仕事のしかたを、より事実に即した形で理解するのに哲学が役に立つことがあります。
一般論として、よく、「人の痛みというのはその人個人の身体の中で起こっている主観的なものだから、他人にはわからない」などと言うことがあります。しかし本当にそうでしょうか。哲学では、そうした既成の概念や枠組みを一度取り払い、実際に目の前で起きていることをとらえ直します。
患者の痛みが「見えている」看護師たち
例えば病棟で、患者が自分の痛みを表すのに1から10の数値を用いて「3くらいの痛み」だと言うときに、看護師が「もっと痛いのでは? お薬のみましょうか」と応答するケースがあります。看護師は毎日患者をケアしているため、その人の痛みがよく「見えて」いて、患者が言った数値ではなく、目の前の痛みに反応しているのです。これは、看護師の身体が現場の状況に即して応答している例で、「実践知」といえるものです。
患者は看護師との対話を通して自らの痛みを再認識し、ケアを受け入れます。もちろん中には、「いや、痛くない」と言う人もいます。そうした「ずれ」とも言える反応が返ってきたときに初めて、看護師は、「痛みというのは主観的なものだから」と考えるのです。
現象学的見地で看護現場を再認識
人が生きて暮らしている現実世界の成り立ちを、既存の枠組みを棚上げしてとらえ直し、記述する。これは哲学の中でも現象学といわれる学問領域の取り組みです。看護の現場においても、そこで起きている事実をありのままに記述し、それらを看護師にフィードバックすると、看護師の自らの仕事に対する理解の枠組みが変わり、現場の動きも組み替わっていきます。無自覚なままに自分が行っていたことを再認識することで、看護についての理解も深まる、そんなプロセスを促す手がかりとして、哲学は重要な役割を担っているのです。
高校生・受験生の皆さんへのメッセージ
私は、看護学の領域で、複数の人が一緒に仕事をするということがどのように成り立っているのかを研究しています。あなたは、勉強したり、将来の夢を思い描くとき、「自分は一人で行動している」と考えているかもしれませんが、よくよく突きつめてみると、家族や先生、ライバルであり仲間でもある友だちなど、多くの人が関わって今のあなたの行動を支えていることに気づくでしょう。そうした考え方をしてみると、今後の生き方や人生の選び方も変わってきます。ぜひ、自分を見なおす機会を作ってみてください。
夢ナビ編集部監修