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学びと経験の連鎖が形づくる道。作業療法学・脳科学から企業研究職へ、描き続けてきたキャリアの軌跡

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首都大学東京 健康福祉学部 作業療法学科(現 東京都立大学 健康福祉学部 作業療法学科) 2008年度卒業。同大学院 人間健康科学研究科人間健康科学専攻フロンティアヘルスサイエンス学域(現 東京都立大学大学院 人間健康科学研究科人間健康科学専攻フロンティアヘルスサイエンス学域)博士前期課程2010年度修了。

在学中は化粧が人の社会性に与える影響を研究テーマに、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いた脳機能研究に取り組んだ。2011年、株式会社 資生堂に入社。スキンケア製品の開発部門を経て、基礎研究部門で化粧や美容が人の内面にもたらす影響などを明らかにする研究に従事。現在はDE&I戦略推進部にて、人や組織の多様性、包摂性に関する研究と情報発信を行っている。

健康福祉学部 作業療法学科を卒業後、人間健康科学研究科人間健康科学専攻フロンティアヘルスサイエンス学域博士前期課程を修了し、現在は株式会社 資生堂でDE&I戦略推進部に所属する礒部寛子さん。礒部さんは在学中、臨床実習で“化粧や整容(身だしなみを整えること)”が持つポジティブな力に興味を持ったことをきっかけに、脳機能の側面から「化粧が人の社会性に与える影響」について研究をしてきました。

作業療法学科で得た学びや視点を大切にしながら、大学院で研究を深め、企業に所属して研究成果を社会に還元する道を選んだ礒部さん。大学での学びがキャリアにどうつながったのか、また後輩たちへのメッセージを伺いました。

臨床実習での実体験で知った「化粧や整容」の可能性。人との関わりを通じて学んだからこその気付き

——都立大の作業療法学科を選んだ理由を教えてください。

高校時代、様々な選択肢がある中で、どの分野に進もうか悩んでいました。最終的に作業療法学を学ぼうと思ったのは、高校生の頃に膝の手術を受けた経験や、家族の病気が大きなきっかけでした。そこから一人ひとりの患者さんの状況に応じて行うリハビリテーションの仕事に興味を持ちました。

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リハビリに関していろいろと調べるうちに、日常生活の様々な活動を通じてQOL(Quality Of Life)の向上をサポートする作業療法の「アプローチの多面性」に興味が湧き、専門的に学んでみたいと思うようになったのです。そこで、作業療法学科に進学することに決めました。

――大学生活で特に印象に残っていることはありますか?

やはり、作業療法学科ならではの臨床実習が強く印象に残っています。中でも実際に患者さんと関わらせていただいた経験は、本当に貴重なものでした。それを通じて、私はその人らしさを大切にしながらサポートすることの重要性や、化粧や整容が持つポジティブな力にも気づくことができたのです。

——臨床実習で化粧や整容? 具体的に、どのようなエピソードがあったのでしょうか。

例えば、長期入院されていた患者さんが、久しぶりに外出することになったときのことです。その方の印象がいつもと違うことに気づき、メイクの様子についてお声がけしたところ、その方は「今日は外へ行くからね」と、それまで見たことのない嬉しそうな笑顔を見せてくださいました。

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他にも、ある患者さんをリハビリ前に病室へお迎えに伺うと、おそらくその後に人と接することを意識されて、動きにくい腕をなんとか動かし身体を拭こうとする真剣で自発的な姿を見たことがありました。整容が安心感や自信にもつながり、リハビリ室で陽気にふるまうその方を支える一助になっていたのだと実感しました。

こうした経験を経て、私は次第に「化粧や整容には人を内面からも動かす力があるのではないか」と考えるようになったのです。

「化粧と人の関係」とは?脳活動を基に探求し続けた大学・大学院時代

――その経験が学部・大学院での研究テーマや現在のお仕事につながったのですね。

そうですね。ただ、私も当時は化粧を研究テーマにできるとは思っておらず、卒業研究のテーマに悩んでいました。宮本礼子助教(現准教授)に相談したところ、「礒部さんが臨床実習のときに感じた疑問や興味は、十分に研究テーマにできますよ」と背中を押してくださったのです。

当時の化粧と人の内面に関する研究は心理学領域のものが多かったので、脳機能の観点から深掘りしてみたいと、fMRIを用いて脳機能の研究をされていた菊池吉晃教授(2019年度退職)に相談に行きました。菊池先生は「人の本質に関わる大変興味深いテーマですね」と関心を示してくださり、とても話が弾んだことを覚えています。これがきっかけで菊池先生の研究室で研究をすることになり、その後のキャリアの大きな転機となりました。

――その卒業論文の内容を、詳しく教えていただけますか?

化粧と人の関係をテーマに、社会性の視点から研究を進めました。実験参加者(女性)の素顔と化粧顔を、男女の他者が評価しているように感じられる場面を設定し、fMRIを用いてその際の実験参加者の脳の活動を測定する実験を行いました。

結果としては、化粧顔では他者からのよりよい評価が期待できる、ポジティブな感情に関する高次な脳活動が、一方で素顔の場合には、警戒心や拒否感に関連する脳活動が確認されました。また、評価される相手によっても反応が異なり、素顔の場合には、意外にも男性よりも女性に評価されている場面の方が、動揺する自己をコントロールしようとする働きが見られました。

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この研究を通じて、化粧が人の社会性に及ぼす影響の奥深さを明らかにすることにつながったのではないかと思います。この研究はその後、学会の学生部門で優秀発表賞をいただくことができ、励みにもなりました。

――その後、大学院へと進学されていますが、大学院でも同様のテーマで研究をされたのですか?

そうです。この研究テーマをさらに深めたいと考え、大学院でも引き続き、化粧と脳機能、人の社会性をテーマに研究を進めました。具体的には例えば、自分が好むメイクと、濃すぎて違和感のあるようなメイクの違いなど、化粧をしているかどうかだけではなく、その程度についてもより細かく一歩踏み込んで研究をしました。

研究成果を社会に還元したい。選んだのは企業で研究開発に挑むキャリア

――大学に残って研究する道もあったのではないかと思います。なぜ、資生堂への入社を決めたのでしょうか。

おっしゃるとおり、大学で研究者の道を歩むことや、作業療法士の資格を活かして臨床で働くこともキャリアの選択肢として検討していました。

最終的に企業の研究員になるという道を選んだのは、研究成果をより多くの人々に届けたいと考えたからです。学術的な知見を積み重ねることも大切ですが、企業でその成果を製品開発や社会貢献に活かすことができれば、その力をより広く社会に広められるのではないかと思ったのです。

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大学院生のころの学会発表をきっかけに資生堂の研究員と話す機会があり、企業文化や研究に対する姿勢に惹かれました。その後共同研究が始まったことで、さらに入社への想いが強くなっていきました。そうした経緯があって、資生堂への入社に至ったのです。

――入社後から現在までの仕事内容を教えてください。

入社後、スキンケア製品の開発部門で製品の処方開発やスキンケア化粧品を使う“人”に関する研究をしていました。その後、美と人の内面や行動との関係に着目した基礎研究を行う部署への異動を経て、現在は本社のDE&I戦略推進部に所属し、DE&I(Diversity, Equity, and Inclusion)が人や組織にどのような影響を与えるのか、また企業活動をより発展させるためにはどのようなインクルーシブな環境づくりが効果的か、といったテーマについて研究しています。さらに資生堂DE&Iラボというウェブサイトなどを通じて、社会に向けて知見を発信しています。

――大学で学んだことが現在の仕事に活かされていると感じることはありますか?
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作業療法の基本的な考え方として学んだ「疾患や障害だけでなく、人や生活を全体として見る」という視点は、現在の仕事にも大きく影響しています。例えば、作業療法では「身体機能が同じでも、患者さんそれぞれの生活環境や価値観、経験によって最適なリハビリプログラムが変わってくる」という考え方をしますが、これは、企業における生活者の捉え方にも応用できると感じています。

商品やサービスを使う人の背景や生活全体を含めて、お客さまにどのような価値を提供できるのかを包括的に考えようとする思いが強いのは、作業療法学を学んだからこそ。また、一人ひとりの多様なバックグラウンドを活かすことの重要性に対する想いは、現在の仕事にも活きていると感じます。

経験はらせん状につながる。想いや希望を大切に、今を生きる

――これから社会に出てキャリアを築く上で、どのような心構えや考え方が必要だと思いますか。
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私は以前、資生堂の研究でお世話になった大学の先生から「経験はらせん状につながる」という言葉を教えていただきました。私自身、かつては「経験は直線的につながる」というイメージを持っていましたが、年齢を重ねるうちに、必ずしもそうではないことに気付く機会が増えました。経験は、らせんのように回りながら上へと昇り、過去の経験が思わぬ形で活きてくることがあります。

そういう意味では、学生時代の学びや経験が、その後に一見関係ないように思われる場面で役立つことも十分にあり得ますし、そのつながりに気づくことはとても面白いと感じています。学生の皆さんにはぜひ、目の前の勉強や実習で得られる直接的な知識だけでなく、そのプロセスの持つ意味や価値にも目を向けながら取り組んでいただけたらなと思います。

――最後に、高校生へ、一言メッセージをいただけないでしょうか。

高校生の皆さんは、大学選びが人生を左右する重大な決断だと感じるかと思います。実際に、先々に何があるかは分かりませんが、その時々の興味や意志に基づいて進路を決めていくことで、自分自身が選んだという実感を持つことが大切なのではないかと思います。
その選択自体に正解や不正解があるのでなく、そのときの自分の考えや意志に基づいて選んだという事実が、その先の進路やキャリアの選択においても活きてくるはずです。ご自身の思いや希望を大切に、柔軟な姿勢で未来を描いてみてください。

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