Profile
東京都立科学技術大学大学院 工学研究科 力学系システム工学専攻(現 東京都立大学大学院 システムデザイン研究科 航空宇宙システム工学域)1998年度修了。F1への憧れから、本田技研工業株式会社に入社。MS開発室で、大学院時代の学びを活かしながら、F1マシンの車体後方で空気の流れを制御する空力パーツの一種である「ディフューザー」の開発などを担当した。現在は四輪事業本部ものづくりセンター完成車開発統括部にて、空力の観点から自動車のエネルギー効率向上に携わっている。2022年3月には著名人とともにホンダの企業CMにも出演。
Hondaハート https://www.honda.co.jp/HondaHeart/special-contents/carbon-neutral/04/
東京都立大学の卒業生は、大学や大学院で学んだことを活かしながら、様々な業界の第一線で活躍しています。本田技研工業株式会社(以下、ホンダ)で空気力学の専門知識を活かしながら働く皆川真之さんもそのひとり。これまでF1マシンのパーツ開発に携わり、現在はエネルギーロスを減らすために自動車の燃費・電費(電気自動車の燃費のこと)の向上に取り組んでいるという皆川さんは、どのような夢を持ちながら学生時代を過ごしてきたのでしょうか。栃木県にある本田技術研究所を訪れ、お話を伺いました。
大好きなF1をきっかけに「空気力学」のおもしろさに目覚める
――皆川さんのお仕事について、教えてください。
エネルギーロスを減らすために、自動車の燃費・電費を向上できるよう、空気力学の観点から自動車の形状の最適化に携わっています。乗車していると実感しづらいのですが、実は自動車は走行中、前後・上下・左右に空気の流れの影響を受けているんです。「空気の壁」を切り分けて走っているイメージですね。車体に少しでも空気抵抗が生じると前に進む力が弱くなり、その分余計なガソリンや電気を使うことになります。空気の流れに対して、デザインの細かな部分まで最適化できるよう、人工的に風の流れを起こす「風洞」という施設で日々実験を重ねています。
――ホンダに入社しようと思ったきっかけは?
高校3年生のときから憧れていたF1の世界に携わる仕事をしたかったからです。私はF1の中でも特にアイルトン・セナというドライバーに傾倒していました。彼が3回のワールドチャンピオンを獲得した際、マシンのエンジンを手がけていたのがホンダで、私の中では大本命の企業でした。ホンダに入ることしか考えていませんでしたね。
――F1の世界にそこまで魅せられた理由は?
ドライバーのスキルの高さや、華やかな世界観に魅力を感じたことが大きいです。私が高校3年生だった1990年は、世の中がF1ブームでした。私もその盛り上がりの中でF1に触れ、一気にF1の世界に引き込まれました。
大学院で空気力学を専攻したのも、実はF1がきっかけなんです。アイルトン・セナがある時インタビューで「このマシンは空力が悪い」と発言していたのを聞いたとき、レーシングカーの形状には全て物理的な意味があることを知り、空気力学に興味を持つようになりました。別の大学で物理学を勉強していたのですが、大学院ではやはり空気力学を専門的に学びたいと思い、航空学に関する研究科のある大学院ばかりを受験しましたね。
いくつか合格した中から科技大大学院(現 都立大大学院) を選んだのは、落ち着いたキャンパスの雰囲気と工学研究科(現 システムデザイン研究科)の充実した研究環境に魅力を感じたからです。この大学院でなら、空気力学の勉強と研究に没頭できると感じました。学部生時代は参考書を購入して独学していたほど、空気力学のことを本気で学びたかった。期待を胸に入学しました。
F1での勝利に貢献できたとき、教授の指導を思い出した
――実際に大学院に入学して、いかがでしたか?
私の人生にとって、非常に貴重な2年間を過ごせたと思います。仕事の進め方や研究に対する考え方など、私が師事していた淺井雅人教授(2018年度退職)から学んだことは、ホンダで仕事をしている今でも活きています。
淺井先生は空気力学に対して本当に真っ直ぐな想いを持ち、研究室の学生たちに求めるレベルもとても高かった。指導を受ける中で、何かをやりたいなら、先生のように真剣に物事に挑まないと何一つ成し遂げることはできないのだと学びました。先生の姿がずっと心の中にあったからこそ、私自身もF1マシンの開発という世界的な舞台の中で仕事をすることができましたし、ひとつの成果を残せたのだと思います。
――淺井先生の指導について、最も印象に残っていることはありますか?
淺井先生の指導で印象に残っていることは2つあります。1つが「最大限の成果を出すための仕事や研究の進め方」を教えていただいたこと。空気力学を本気でやりたかった私は、研究室に入ったばかりの頃、計測や解析など目についたあらゆることに片っ端から手を付けていました。
その様子に気が付いた淺井先生から、「社会に出たら厳しい締め切りがある。まずは全体の大きな傾向をつかみ、方向性をはっきりさせてから、細部にこだわりなさい」と言葉をかけてもらって。全部を進めようとすると、結果として時間切れとなり、すべてが中途半端で終わってしまうことが多いのですが、全体の傾向さえ掴めていれば、たとえ細部が締め切りに間に合わなかったとしても方向性を示す有意義な報告はまとめられます。エンジニアとしてあるべき基本姿勢を学びました。
2つ目が「自ら考え、新しいアイデアを出すことの大切さ」です。これも研究室に入った当初のエピソードなのですが、物理学科出身で空気力学の解析手法は右も左もわからなかった私は、ある実験で、まずは自分で考えた方法をもとに結果をまとめました。それを先生に報告したら、いつもは厳しい先生が、私の姿勢をとても褒めてくださって。自分で考えてアイデアを出し、実践することは本当に大切なことなのだと気付くことができました。
この2つのエピソードは、会社に入った今でもときどき思い出します。
――これまでどのような場面で、淺井先生の指導を思い出しましたか?
いろいろありますが、よく覚えているのがF1マシンの「ダブルデッカーディフューザー」というパーツの開発に携わったときのことですね。私が開発に携わったディフューザーは、F1で決められているレギュレーションのギリギリの範囲を攻め、非常に高い性能を発揮することができました。その結果、F1マシンの歴史にたしかな足跡を残すことができたんです。
理想の形状を追求してアイデアを出し、周りの仲間たちの協力を得ながら、ディフューザーを技術的に高レベルなものへと高めた。その先に1つの大きな成果を残せたとき、あの日先生に教わった「自ら考え、新しいアイデアを出すこと」の大切さを改めて実感しました。
夢があるなら、強い想いを持ち続けて。なりたい姿を愚直に描くことが、夢に近づく一歩となる
――2008年末にホンダが第三期F1活動から撤退したこともあり、皆川さんは現在、普通自動車の研究開発のほうに携わっていますよね。ずっと憧れていたF1の世界から離れることに対しては、どのように考えていましたか?
幸いなことに私はF1の世界で、ディフューザーの開発を周りの仲間たちと共にやり遂げられたので、比較的スムーズに現在の仕事に移行することができました。F1に憧れてはいましたが、マシン開発に携わりたいと思ったのは、自分の知識や才能を形にしてF1の世界で勝利に貢献したいという気持ちがあったからです。
普通自動車の仕事は、その気持ちが「F1」から「世の中」に置き換わっただけ。ホンダの自動車は世界に数百万台あり、それらが家族や恋人、友達との様々な思い出づくりを支えています。本当に多くの人の生活に密着した仕事だからこそ、ここで自分の知識を活かすことができれば、地球全体に大きな影響を与えることにつながる。非常に大きな使命をいただいたと感じています。
――皆川さんのこれからの夢についても、教えてください。
自動車メーカーとして、「青い空を守ること」に貢献していきたいです。ホンダの自動車の性能を高めることで、CO2削減やカーボンニュートラルに貢献し、今私たちが見ている「青い空」を次世代へと受け継いでいけたらと思っています。ホンダの車はカッコよくて、環境にも優しい。多くの方にそんな風に思ってもらえるようになったら嬉しいですね。
――最後に、高校生や学生に向けてメッセージをいただけますか?
皆さんにはぜひ、夢を持ってほしいなと思います。夢ができたら、それを実現するために強い想いを持ち続けていただきたいです。なりたい姿を愚直に描き続けることで、夢に一歩近づけるのではないかと思います。
そして、ぜひ日常生活の中でアンテナを張り、感受性豊かに様々なことを感じ取ってほしいです。音や振動等の感覚もそうですし、建物や自動車など、私たちの身の回りにある物事はすべて学問に基づいています。日頃見聞きして興味を持ったことを切り口として、大学や大学院で探求する。学びたいことに没頭する学生生活を送ることができたら、とても充実した時間になるのではないでしょうか。