※ヤェム・ヴィボル助教は2023年2月28日付で退職しました。
東京都立大学では、東京都が2021年3月に策定した「『未来の東京』戦略」の取組の一環として、学内に最先端かつ日本最大級のローカル5Gによる通信環境を整えています。高速大容量で、ネットワークの遅延が極めて小さく、これまでの通信技術よりもさらに多くの端末を同時接続可能な5Gは、近い将来、私たちの暮らしの中でコミュニケーションのあり方やビジネス環境を大きく変えていくかもしれません。
そのような5G通信を使用し、未来の「現実」や「体験」のあり方を大きく変え得る新技術の開発を行っているのがシステムデザイン学部のヤェム・ヴィボル助教です。今回、ヤェム先生にインタビューを行い、研究内容や新技術で実現可能な社会像などについてお話を伺いました。
身体の限界を突破し、新たな体験をつくる。ヤェム先生が挑む、五感全てを伝達できる技術とは
――ヤェム先生のご専門について教えてください。
私の専門は、バーチャルリアリティーです。昨今ニュースなどでも話題となっていますから、「VR」という略称や「仮想現実」という言葉を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。バーチャルリアリティーは五感などの人間の感覚を刺激することで、仮想空間を現実であるかのように感じさせる技術のこと。「VR=Virtual Reality」には、「見かけや形は現実のものではないけれど、その効果や本質は現実である」という意味が含まれており、バーチャルリアリティーを使えば「限りなく現実に近い体験」を得ることができるのです。
ただ、現在のバーチャルリアリティーは、CG映像を見せるような技術がほとんどで、体験者に伝える身体感覚の情報は不十分。私の研究では、そこからさらに一歩進んで「現実の中で体験できる様々な感覚の再現」に重きを置き、遠隔地にいても現実の空間とほぼ変わらない体験ができるような「テレプレゼンス」の技術や装置の開発を行っています。
――遠隔地にいても現実の空間とほぼ変わらない体験ができる技術や装置とは、具体的にどのようなものなのでしょうか?
例えば、フランス・パリの美しい街並みを視覚的に楽しんだり、雑踏の音を聞きながら石畳を歩いたりする感覚を、東京にいながらリアルタイムで経験できる技術と伝えると分かりやすいでしょうか。ものを触るときや、歩くときの手や足腰の感覚など、人間が五感で感じとる情報全てを伝達可能とする技術を開発しているのです。この技術が社会実装されれば、自分が今いる場所に関わらず、世界一周旅行や宇宙旅行を体験することも可能になるかもしれません。
とはいえ、SFの世界のように何もない空間でそのような情報伝達を行うことはできませんから、遠隔地では犬型や車輪型のロボットに行動してもらい、人間にはVRヘッドセットや足元・手元の装置を着けることで感覚の再現を試みています。
このようなバーチャルリアリティーの研究を行うには、工学的な知識はもちろんのこと、人間の身体構造から心理学の分野まで幅広い知識に触れる必要があります。
――この技術が普及すると、どのような社会が実現すると思いますか?
人とのつながり方と仕事の仕方、2つの観点から新しい社会のあり方に変わっていくと考えています。
まず、人とのつながり方については、遠方に住んでいる人とも深い交流を持つことができるようになると思います。現在のビデオ通話では、その場に人がいるかのような臨場感や現実感はありません。しかし、バーチャルリアリティーが実現すれば、遠方に住む家族や友達とも同じ体験を共有して楽しむことができます。
また、仕事においても、遠隔作業をさらに実施しやすくなると考えています。現在も工場での作業などをAIで遠隔化しているところもあるのですが、AIはあくまで機械が学習できる範囲のタスクを自動化・遠隔化するだけ。様々な情報を処理しなければならない場所では、やはり人間がロボットの中に入って操作するほうが早いんです。危険を伴う災害現場での作業や複雑な処理が求められる工場の現場などで、私たちの開発する技術を活かすことができると考えています。
ただ、この技術が社会実装されるのは、まだ先の話です。人間が五感で感じている「現実世界」の情報は、私たちが思うよりもさらに複雑で情報量が多い。実は都立大で整備している最先端のローカル5Gをもってしても伝えきれない情報量があるため、本格的な社会実装はインターネット通信の次の技術革新を待って、10年以上先になると思っています。
――この研究のおもしろさや醍醐味は、どのようなところにあると思いますか?
身体を拡張することによって、人間の限界を突破できるかもしれない。その可能性が研究のおもしろさや醍醐味だと感じています。テレプレゼンスの技術があれば、自分では行けないような場所に行くことができますし、鉄骨のような非常に重いものを人間の力を使って遠隔で動かすこともできるようになります。私の研究室では犬型と車輪型のロボットを使っていますが、虫型ロボットをつくれば、虫の目線を体験することも可能です。未来の新しい体験のあり方をつくり出す、非常にやりがいのある研究だと思います。
最先端のローカル5G環境が研究の後押しに。学生との距離が近く、充実した研究環境は都立大ならでは
――ヤェム先生はなぜ、バーチャルリアリティーの研究に取り組もうと思ったのですか?
そもそものきっかけは、子どもの頃から車が好きで、機械に興味があったからです。子どものときは、将来車づくりに携わろうと考えていました。しかし、機械や工学について勉強していくうちに、車よりも人間の体と機械を組み合わせて新たな「現実」や「体験」をつくり出していくテレプレゼンスの技術に興味を持つようになりました。
実はテレプレゼンスの概念や研究自体は1980年代から存在しています。ただ、当時の技術では通信速度や計算機の大きさの問題などにより、テレプレゼンスやバーチャルリアリティーの実現は難しかった。80年代から数十年経った現代の技術であれば、五感体験を伝達する新たな技術を生み出せるのではないかと思ったことが、この研究に取り組む大きなきっかけでした。東京都の行う「『未来の東京』戦略」の中で、都立大に最先端のローカル5G環境が整えられたことも、研究の大きな後押しになりましたね。
――都立大の研究環境で良いと感じるポイントはありますか?
都立大の全てが気に入っています。学生との距離が近く、真面目な学生が多いところは本学ならではの特徴だと思いますし、研究施設も建て替えが進んでおり、設備も充実しています。また、いち研究者としては大学から研究予算獲得のサポートをしていただけるのも、本当にありがたいと感じています。
――ヤェム先生の研究室では、どのような学生を育てていきたいと考えていますか?
私の研究室には「ものづくり」と「プログラミング」が好きな学生が集まっています。彼らにはぜひ自分の研究や能力を活かしながら、世界の様々な課題の解決や幸福の実現に貢献していってもらいたいです。もちろん、研究は自分のために取り組む側面があります。しかし、どんなに小さな発見だったとしても、それを世界の中でどう役立てることができるかという視点を忘れないでほしいと思いますね。
――先生のように「全く新しい未来」をつくり出す研究を行うためには、どのような力や意識が必要だと思いますか?
観察力と想像力の両方が備わっていることが大切だと思っています。
想像力だけでは、せっかくのアイデアも現実離れした「夢」で終わってしまうことが多い。自分の周りの世界をよく観察して、誰がどのようなことに困っているのかを発見し、課題の原因や解決策について客観的な目線で考えていくことが重要です。
新技術の研究に携わりたい方は、ぜひ身の回りの様々なことを観察し、誰かが困っていることを発見したら、なぜそれが起きているのか想像力を働かせて考えてみてください。もしかすると、そこから驚くような新しいアイデアが生まれてくるかもしれません。
――最後に、都立大を目指す高校生にメッセージをいただけますでしょうか。
もし何か上手くいかないことがあったとしても、「諦める」のではなく「試す」ことを大切にしてほしいと思います。最近の学生は完璧を求めるあまりに、諦めの早い方も多いように感じています。例えば、プログラムを上手く書けなかっただけで、「プログラミングは向いていない」と次の挑戦をしないのは非常にもったいないです。
この世の中に完璧な人はいません。教員・研究者として学生を指導する立場にある私だって、完璧ではありません。研究が上手くいかないときは「研究者の道に進んでよかったのだろうか」と、不安や迷いが生じることもあります。でも、一度上手くいかなかったからといって、全てを諦めてやめてしまわなくてもいいのです。
何か壁にぶつかってしまったときは、一旦そのことを忘れてしまうといいと思います。そして翌日、クリアになった頭と心でもう一度物事に向き合うと、新しいアイデアが浮かんで上手くいくこともあります。私もそういう経験をたくさんしてきました。学生の皆さんには「いつかきっとできるはず」と自分を信じて、勉強や夢、やりたいことなどに挑戦し続けてほしいですね。