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シンガーソングライター寺尾紗穂が都立大で過ごした日々。かけがえのない出会いを得たキャンパスを歩く

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東京都立大学人文学部文学科中国文学(2003年度卒業)出身。東京都立大学の仲間と結成したバンドThousands Birdies' Legsでボーカル、作詞作曲を務める傍ら、弾き語りの活動を始める。ミュージシャンのほか、文筆家として著書に『原発労働者』『南洋と私』などがある。新聞、ウェブ、雑誌などで多数の連載を持つ。

シンガーソングライター、エッセイストなど、幅広い分野で活躍を続ける寺尾紗穂さんは、東京都立大学人文学部文学科中国文学(2003年度卒業)出身。4年間を過ごした南大沢キャンパスには「たくさんの思い出がある」といいます。音楽や執筆といった寺尾さんの現在のアーティスト活動にもつながる東京都立大学で過ごした日々。その記憶を辿って、キャンパスの中を散策しました。

大空の下、芝生の上、わたしの時間

寺尾さんが東京都立大学を卒業して約17年。学生時代を振り返ると、さまざまな思い出が蘇るそう。「電車から見えた冬の富士山を、綺麗だなぁと思って眺めていました」というのは通学途中の記憶。電車を降りて大学の正門を抜けキャンパスを進むと、「日向で足を伸ばすことができて好きだった」という芝生のスペースに到着します。授業の合間に芝生の上に座って本を読んだり、空を見上げてのんびりしたり。そこには寺尾さんの大切な時間が流れていたようです。

寺尾さんはその記憶を、こんなふうに振り返ります。

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この芝生は私が所属していた人文学部の講義棟に向かう通り道でもあります。水上勉の『湖の琴』を読みながら作品の世界に入り込んだ後、読み終えてぼーっとしていた時に知り合いに声をかけられ、急に現実世界に引き戻されてちょっと残念な気持ちになったことがあります(笑)。都立大はのんびりできる場所がたくさんありますが、この芝生は木陰もあって、明るい空気に満ちていてとても好きでした。

数々の著書を発表している寺尾さんと一緒に、知の集積地である図書館に向かいます。

図書館に集い、読書会をした日々

『男装のエトランゼ 評伝 川島芳子』(文春新書)をはじめ、『原発労働者』(講談社現代新書)や『南洋と私』(リトルモア)などの著者である寺尾さん。学生時代は図書館で過ごす時間も多かったそう。中国語や人文、社会系の書籍を閲覧するだけでなく、ディスカッション用スペースで仲間と一緒に勉強をしたり、時には議論を重ねたり。寺尾さんが思考を巡らせ文を連ねてゆく原点が、この場所にも息づいているのかもしれません。

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当時の人文学部は大学院進学や教員を目指す人が多く、同級生の多くは中学、高校の教員になっていたり、教育系の機関に勤めたりしています。私は中国語の教育職員免許状を取得できることと少人数教育を受けられるということで、都立大を選びました。

教職課程の授業で一緒になった友人6名程と、この図書館のディスカッション用スペースで『ハマータウンの野郎ども』(ポール・ウィリス著、筑摩書房)という教職の授業で紹介された本を読む読書会をやっていました。今はコロナ禍で閉鎖されていて少し切ないですが、早くコロナが収まって当時のような風景が見られるといいなと思います。

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AVライブラリーは学生たちのミニシアター

寺尾さんは授業の空き時間を利用して、国内外の新旧の映画や記録映像など様々なコンテンツに触れることができるAVライブラリー*1によく足を運んだそう。好んで見ていたのは、香港、台湾、大陸などアジア系の映画。キャンパス内のこの小さな視聴空間で、いろいろな作品に触れたのだとか。

*1 AVライブラリーでは、国内外の新旧映画など約2500個のブルーレイ・DVD・VHS等を所有しています。在学生は手続きを経て、個別スペースで自由に視聴することができます

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大陸系のものも含めアジア映画をよく観ていました。のちに中央大学杉並高校で中国語の非常勤講師を3年勤めたのですが、この時見つけた映画を一年に1、2回は授業で視聴させていました。『桜桃の味』(イランの名匠アッバス・キアロスタミ監督の1997年作)など中東の映画もここで初めて見たと思います。都立大は立地的にはミニシアターが遠く、学生はそんなにお金がないので、この環境はありがたかったです。

学生ホールでのかけがえのない出会い

東京都立大学ではサークル活動にも力を入れ、4つものサークル*2に所属していた寺尾さん。「山岳風土研究会」では登山に親しみ、「星の広場の会」では仲間と星見に出かけた。「学術会(前身は社会歴史研究会)」では読書会や論文集収録のための執筆で知見を広げ、「JAZZ研究会」にも顔を出し、初めてコードで演奏することを覚えた。それらの活動で、最も今の自身を作り上げる糧になったのは、「色んな人と出会えたこと」だといいます。

以下の写真は、学生ホールでの1シーン。「今に繋がる大切な人たちとたくさん出会えた象徴のような場所。この空気感は、あの頃のままですね」。20年ほど前に「星の広場の会」の新歓コンパが開催された思い出の空間なんだそう。

*2 現在、同名で活動している団体は「星の広場の会」「学術会」「JAZZ研究会」

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学生ホールは、当時は24時間自主管理という形で自由な気風がありました。親友が学生自治会長をやっていた時期があって、自治会の個性的な人々と知り合えたことは面白かったです。その中の一人、夜間部自治会にいた辻浩司さんは現在埼玉県議会議員になっていますが、当時から鳥取に梨を作りに行ったり、山谷(台東区の東側にある、元日雇い労働者の人々が多く暮らすエリア)で炊き出しボランティアをしたりユニークな先輩でした。辻さんは、私を初めて山谷に連れて行ってくれた人です。『原発労働者』を記したことも、「アジアの汗」という歌が生まれたのも山谷に行かなければ起きなかったことです。

また、当時東京都が主導した大学改革において、先生方は制約の多い中、学問の行く末を未来に託せるように改革案を練りあげ、精いっぱい動かれていました。大学の統合により人文学部は形を変えましたが、新しい形を模索していらした先生方の後ろ姿は強烈に私の脳裏に残っています。大学で得た縁と出会いにはとても感謝しています。

豊かな自然に話が弾む、散策路

自然の中にいる時間を大切にし、自分自身も自然体でいること。そんなスタイルの寺尾さんは、しばしば授業の合間に緑や木々を感じようと散策路に赴いたといいます。

「春夏秋冬の景色があって、キャンパスにこんなに豊かな自然があるなんて、とても幸せなことですね」と、笑顔をこぼします。

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ちょっと仲の良い男の子を「次の時間空いてる?」とよく散歩に誘いました。政治のこと、夢のこと、好きな作家のこと。いろいろ話しましたね。キャンパス内にはタケノコが採れる竹林があって、理系の人たちはタケノコ地区に近いので収穫して食べているなんて話も聞きました。今回、改めて散策したら、いろいろな分かれ道があって知らなかった風景にも出会えました。意外に奥深い散策路をぜひ楽しんでほしいです。

長い時間を経て、久しぶりにキャンパスを巡った寺尾さん。東京都立大学で過ごした時間は「かけがえのないものだったと改めて感じました」と笑顔。豊かな自然と感性を育む施設、そしてたくさんの出会い。様々なカタチで学生を育んでくれるこのキャンパスは、いつでも誰かを待っています。