Profile

健康福祉学部 看護学科2008年度卒業
首都大学東京第一期生。健康福祉学部を卒業後、東京大学医学部附属病院の小児外科に就職。2年目より小児集中治療室で3年間勤務。その後渡米し、語学留学を経てアメリカの看護師資格を取得。2016年よりシアトル小児病院(Seattle Children's Hospital)のCICUで勤務。後にクリティカルケアフロートプール( Critical care float pool )部門に移り、病院全体のRISK(Recognizing illness severity in kids)チームにも所属し、活躍。2025年3月に退職し、現在は日本に一時帰国中。今後は日本の看護労働環境の改善に関する研究を視野に入れている。
学友と先生方の存在が、学びを楽しくさせた
──子どものころはどのようなことに興味を持っていましたか?
子どものころは音楽の道に進みたいという思いもありましたが、大人になるにつれもっと現実的な道へ進みたいと思い、憧れがあった獣医師や医師を目指すようになりました。大学受験では医学部を志望しましたが、ハードルの高さに直面し、一浪生のときに看護にも志望範囲を広げることにしました。
──都立大を志した理由を教えてください。
国公立の大学を目指しており、その中でも都立大の柔軟で、ニュートラルな雰囲気に惹かれました。特に当時の都立大は、複数の大学が統合され、新たに「首都大学東京」としてスタートすることが発表されたばかり。ちょうど節目に当たる時期でした。新設校ならではの、みんなを迎え入れようとするウェルカムな空気感があり、新しいカリキュラムや複数のキャンパスで学べる点も魅力に感じました。そして教員と学生が一緒に学んでいける環境に期待し、首都大学東京の第一期生として入学を決めました。
──大学では、どのような日々を過ごしましたか?
1年次は教養科目を履修するため南大沢キャンパスに通い、2年次以降は専門科目を荒川キャンパスで学びました。
授業はとても楽しかったです。入学当初、看護の仕事は、「病院で患者さんのケアをする」という一般的なイメージが強かったのですが、授業を通してその奥深さを知り、自然と惹き込まれていきました。
こうして楽しく学べたのは、友人たちの存在が大きかったです。授業では必ず前の方に座って勉強していたのですが、友人たちはみな、同じように意欲的で、実習やレポートに取り組む際も一緒に居残って頑張ったり、ともに学びを深め、日々切磋琢磨していました。卒業して16年経った今でもつながりは続いており、看護のことはもちろん、プライベートの相談をすることもあります。
先生方も個性豊かで、それぞれの専門領域のカラーがはっきり表れており、とても面白かったです。授業中に先生と話せる機会が多かったことも、楽しみながら学びに向き合えた理由の一つでした。特に恩師は、私たちにとって母のような存在。いつもそこにいてくれる安心感があり、「先生に話せば大丈夫」と思えました。困ったり、落ち込んだりしたときも相談に乗ってくれ、成功したときは一緒に喜びを分かち合うことができました。
4年次には、関心があった看護研究方法論を学ぶために、小児看護学のゼミに入りました。そこでは、子どもだけでなくそのご家族も含めてケアをする視点や、子ども自身が成長過程にあること、障がいの有無などを看護にどう取り入れるかを考えられる点に魅力を感じ、小児看護の道へ歩む決意を固めました。以来、卒業後も小児看護一筋で取り組んでいます。
在学中は、勉強だけではなく、課外活動も熱心に取り組みました。応援団に入部し、チアリーディングに出場したり、試合の応援をしていました。活動の拠点が南大沢にあったため、2年次からは2つのキャンパスを行き来する日々でしたが、怪我で引退するまでの2年間、精一杯打ち込みました。
海外で働くために、必要だったこと
──卒業後はどのような仕事をされてきたのでしょうか?
大学卒業後は、東京大学医学部附属病院(以下、東大病院)の小児外科に就職しました。2年目からは小児集中治療室に異動し、計4年間勤務しました。その後、アメリカの看護師資格を取得し、2016年にシアトルにある小児専門病院Seattle Children’s Hospital(以下、シアトル小児病院)へ就職。約10年間在籍しました。
──海外で働くために、どのような準備をしましたか?
高校生のころから「海外へ行きたい」という思いがあり、大学在学中から英語の勉強に取り組み、海外のニュースにも日常的にアンテナを張っていました。アメリカで看護師として働くには何が必要か、少しずつ調べるようになったのもそのころです。
社会人になり、仕事が少しずつ軌道に乗ってきたころ、具体的なキャリアを想定し、本格的に準備を始めました。準備をしていく中で、英語力を伸ばすには日本での勉強だけでは限界があると感じ、思い切ってアメリカに語学留学することを決意しました。東大病院を辞めることには迷いもありましたが、挑戦したいという思いが背中を押してくれました。当初は語学習得後にアメリカの大学院進学を目指していましたが、アメリカ人の夫との結婚が決まり、約2年かけてアメリカの看護師免許を取得しました。
試験の内容は日本と重なる部分が多いものの、全編英語で出題されるうえに、アメリカ特有の状況判断問題が多く、戸惑うこともありましたが、私と同じく、アメリカの看護師免許合格を目指していた都立大出身の仲間がいました。一緒に過去問を解き、オンライン通話で答え合わせをし、議論をすることで理解を深めていき、最終的には2人揃って合格することができました。
資格取得後は、小児の急性期看護のバックグラウンドを活かして、当時住んでいたシアトルのシアトル小児病院にあるCICU(循環器ICU)とPICU(小児ICU)の部署に応募し、CICUでの採用が決まりました。アメリカでの就労はビザの問題さえクリアできれば、そこまで高いハードルではないと感じています。私の経験上、むしろ重要なのは、日本での臨床経験だと思います。2~3年でも構わないので、一度日本の現場で実践力を養っておくと、アメリカでも大きな武器になります。また、日本人の看護師は、細やかな気配りと丁寧なケアができるという印象を持たれており、アメリカでも看護師不足が深刻な今、病院のニーズに合えば十分にチャンスはあると思います。
──大学生活での経験で、現在の仕事に活かされていることはありますか?
「地に足をつけて、努力を重ねること」です。同級生たちは多様な価値観を持ちながら、それぞれが目指す道に向かって真剣に取り組んでいましたし、その姿勢に刺激を受け、私自身も学び続ける意欲が育まれました。
また、先生方もそんな私たちの背中を押してくれる存在でした。例えば「海外に行きたい」と話したときも、「難しいね」ではなく「すごいね、できたらいいね」と応援してくれました。どんなことをしても楽しめるし、どんな道に行っても失敗はないと思えましたし、看護の基礎や社会貢献の姿勢、そして地に足のついた学び方のスタンスを身につけられたことが、海外での挑戦においても支えになったと感じています。
都立大でみつけた、自分らしさとこれから
──シアトル小児病院時代、どのようなやりがいを感じていましたか?
一番良かったのは、ワークライフバランスの取り方です。アメリカでは12時間シフト勤務で、週3回勤務すればフルタイム扱いになります。オンオフの切り替えがしやすく、プライベートも充実。しっかりリフレッシュして仕事に戻ることができました。
また、私は臨床の現場でスキルを磨き続けたいという思いがあったので、ステップアップよりも臨床にこだわって働いていました。6年間CICUで経験を積んだ後は、PICUとCICUの両方をカバーするクリティカルケアフロートプール( Critical care float pool )というグループに入りました。CICU出身ではありましたが、PICUとNICUでも働けるようトレーニングを受け、必要に応じてそれぞれの現場に入っていきました。
最後の2年間は、看護師だけで構成されたRISK(recognizing illness severity in kids)チームにも所属していました。このチームのミッションは、ICUに入る必要がありそうな重症度の子どもをなるべく早く見つけ、ICUに搬送すること。対象はICU外の患者さん全てです。RISKチームの存在は、病院全体の看護師の教育にもつながりましたし、このチームの設立以降は院内の急変が減少したというデータもあります。看護の力を実感できる、とてもやりがいのある仕事でした。
──2025年3月に退職し、日本に移住されています。今後はどのような挑戦をされるのでしょうか。
日本の臨床を離れて10年、帰国した際に日本の看護の労働環境がほとんど変わっていないことに、ショックを覚えました。これからは、「日本の看護の労働環境をどう変えていけるのか」「何が課題なのか」ということを、研究という形で掘り下げていけたらと考えています。今は大学院進学に向けて準備を進めているのですが、日本にいる今だからこそできることに、一つ一つ挑戦していきたいです。
──最後に、ハンセンさんにとって都立大とは?
「看護の原点」となる姿勢や価値観を育める、豊かな土壌のような場所です。一緒に学んだ友人たちも、今はそれぞれの場所で、自由に楽しく看護に取り組んでいますが、どんな道へ進んだとしても、その根底には都立大での学びがあると感じられるのです。迷ったときも、大学に立ち寄って先生方と話をするだけで「これでいいんだ」と思える。そんなふうに、自分を肯定してもらえる場があるということが、本当に心強いと感じています。
- 登場する人物の在籍年次や所属、活動内容等は、取材時(2025年)のものです。






